2019年11月号
特集
語らざれば愁なきに似たり
  • 詩人藤川幸之助

介護のうた

認知症の母が教えてくれたこと

20数年におよぶ認知症の母の壮絶な介護体験から、人々の心を打つ珠玉の詩を紡ぎ出してきた詩人の藤川幸之助氏。次第に記憶と言葉を失っていく母の命に寄り添い続けた藤川氏が語る、人と人が支え合う介護の本質、そして認知症という病が私たちに問いかける人間が生きていることの尊さ――(写真:認知症の母と長崎市さくらの里にて)。

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谷川俊太郎さんの後を歩んでいきたい

友人たちとバンドを組み、音楽活動に熱中していた高校時代のある日。歌詞の参考にしようと詩集を探しに訪れた図書館で、たまたま最初に手に取ったのが谷川俊太郎さんの詩集『日々の地図』でした。それまで文学などまったく興味がなかった私は、谷川さんの名前も作品も知りませんでした。

しかし、詩集を読み進めていくと、不思議とその言葉の数々が頭の中に断片的に残り、言葉を飴玉あめだまのようにめながら喜んでいる自分にふと気づきました。谷川さんの詩から、歌詞も文章も単なる言葉での説明ではなく、すべてが「表現」なのだと気づいたのです。

そして詩集の中の『道』という作品に触れた時、自分も谷川さんの後を歩きながら、詩人を生業なりわいにしたいと思いました。大学に進学後、ある小学校の校歌の作詞・作曲をする機会に恵まれたことをきっかけに、私は音楽を離れて詩を本格的に書き始めたのでした。

ただ、詩人を生業にして生きていくといっても、詩だけで食べていくことは難しいと分かっていました。ですから、まず学校の教員となり、子供たちに教えながら詩を書いていく道を選びました。

幸いにも、大学在学中に書いた詩が少しずつ雑誌や新聞などに掲載されていたことで、ちょうど教員として長崎県平戸市の小学校に赴任した頃、日本児童文学者協会から詩の賞をいただき、初の詩集を出版することができました。

それでも、詩集はほとんど売れず、詩人として生活していくことはできません。学校の授業を終え、残った仕事を自宅で済ませ、夜中の12時頃から明け方までひたすら詩を書く日々が続きました。

詩人

藤川幸之助

ふじかわ・こうのすけ

昭和37年熊本県生まれ。小学校の教師を経て、詩作・文筆活動に入る。認知症の母親に寄り添いながら命や認知症を題材にした作品をつくり続ける。また、認知症への理解を深めるため全国での講演活動にも取り組んでいる。『満月の夜、母を施設に置いて』『徘徊と笑うなかれ』(共に中央法規)『マザー』『ライスカレーと母と海』(共にポプラ社)など著書多数。