2020年11月号
特集
根を養う
インタビュー③
  • 立華学園前理事長菊田 信

立腰教育が人間のいしずえをつくる

「国民教育の師父」と仰がれる森 信三先生が提唱された立腰教育に30年以上、黙々と取り組んでいる認定こども園(幼稚園·保育園)がある。宮城県仙台市の立華学園である。立腰を教育の主軸に据えたのは、創設者の菊田 信氏にとって、それが森先生との約束という強い思いがあるからだ。立腰教育の実践によって子どもたちはどのように変わるのか。森先生を生涯の師と仰ぐ菊田氏にお聞きした。

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森信三先生との生涯の約束

——立華たちばな学園では、森信三しんぞう先生が提唱された立腰りつよう教育に長年取り組まれているそうですね。

教育に立腰を取り入れたのは昭和63年ですから30年以上、続けてきました。もちろん、最初からうまくいったわけではありませんが、現在では学園の幼稚園、保育園合わせて100名の園児たちが毎日立腰を行っています。私も「立華学園の一番の中心は立腰教育の実践です」と自信を持ってお伝えしているんです。
少しだけ園の歴史についてお話ししますと、私はもともと親の後をいで農業をやっていました。ある時、東京の谷中やなか立善寺りゅうぜんじで保育園を経営していた伯父の菊田貫雅かんがから「幼児教育が一番大事である。大学よりもだ」という話を聞きましてね。当時幼稚園の数が少なく、それならというので父から600坪の土地を提供してもらって昭和54年、私が38歳の時に仙台市の郊外に幼稚園をつくったというのが設立のいきさつです。
理事長には菊田貫雅、園長には小学校長をされた石田嘉兵衛先生をお迎えしました。この石田先生が森信三先生に師事された方で、そのお導きにより森信三先生とお会いすることができました。

——どういう出会いでしたか。

石田先生のもとには森先生から『開顕かいけん』という個人誌が届いており、私も時折読ませていただいていましたが、実際に森先生とお会いしたのは、私が石田先生の後を継いで園長に就任した昭和60年に神戸で開かれた実践人じっせんじん(森先生の教学に則り、学び実践する人)の夏期研修会の場でした。開会前、車椅子いすに乗った眼光の鋭いお年寄りがロビーにおられて、皆さんはその方を遠巻きにしておりました。その方が森信三先生と知ったのは会が始まってからでした。
休憩時間に窓際におられる森先生に「仙台からまいりました。幼稚園をやっています」とご挨拶すると、「そうですか。幼稚園をやっているのならぜひ福岡の仁愛じんあい保育園に行きなさい。行ったら必ず朝礼を見学しなさい」とおっしゃって、鋭い目で私の目を見つめ、手先を私に向けながら「いいですか」と念を押されるんです。私は握手を求められたと勘違いして手を握ったのですが(笑)、いや温かかったですね。

——仁愛保育園は立腰教育の先駆けともいえる園ですね。

ええ。これは私に「あなたの園でも立腰教育を見習いなさい」という森先生のメッセージだったのだと思います。いま思うと、この時の森先生との約束を果たさなくてはいけないという思いでこれまで30年以上、立腰教育に尽力してきたような気がしています。
この夏期研修会では森先生のお弟子さん・鬼塚八郎先生の静坐せいざの指導が行われました。鬼塚先生は「失礼します」と声を掛けながら、静坐をする参加者一人ひとりの腰に手を添えて回られた。その時の腰骨こしぼねがグッと立つ感動、手の温かさも忘れ難いものがありましたね。「ああ、本で読んでいた静坐立腰とはこれなのか」と。
足の土踏まずを重ね、その上にお尻をいっぱい後ろに引いて置き、それからおなかをグンと前につき出す。これで腰骨が立ちます。たったこれだけのことですが、その奥はものすごく深いんです。

——それで立腰を園の教育に取り入れようと思われた。

森先生は立腰について多くの教えを残されていますね。例えば「つねに腰骨をシャンと立てることーこれ人間に性根の入る極秘伝なり」「人間は腰骨を立てることによって自己分裂を防ぎうる」「腰骨を立てることは、エネルギーの不尽の源泉を貯えることである」と、表現を変えながらその大切さを繰り返し説かれています。
実際、身体を正し腰骨を立てることによって、子どもたちは本来備わっている自分の真心に触れて我がままを払拭ふっしょくし、人の話を聞き、自分の意見を述べることができる、いわゆる自立した子に育っていくんです。

立華学園前理事長

菊田 信

きくた・まこと

昭和16年宮城県生まれ。東北学院大学第二経済学科卒業。54年仙台市内に立華学園創設。63年立腰教育を取り入れる。平成9年仙台立華読書会を設立し今日まで『修身教授録』(致知出版社)を学び続ける。21年理事長に就任し、29年に退任。