2024年9月号
特集
貫くものを
インタビュー③
  • 将棋棋士九段石田和雄

貫くものをもって努力を
続ければ、苦難は必ず
人生の糧になる

長くトップ棋士として活躍すると共に、千葉県柏市で将棋センター・子供将棋教室を運営し、多くのプロ棋士を育ててきた将棋界の名伯楽・石田和雄氏、77歳。現在に至る道のりは逆境の連続だったという石田氏に、人生の山坂の中から掴み取った人育ての要諦、自らの運命をひらいていく心の持ち方を語っていただいた。

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決して驕らず謙虚に努力し続ける

──石田さんが経営する柏将棋センター(千葉県)の子供将棋教室は、藤井聡太氏(当時四段)の連勝記録を止めた佐々木勇気八段をはじめ、高見たい七段、勝又清和七段など何人もの棋士を輩出されています。普段、どのようなことを心掛けて指導されているのですか。

この前もメディアの取材が来ましたけれども、たくさんの子供たちがせったくし真剣に将棋を指している姿を見て、皆さん本当にびっくりされます。
私自身は特別な指導をしているつもりはないのですが、教える時には「これまで自分が培ってきたものを全部あげよう」という気持ちで子供たちに真剣に向き合ってきました。また最初はその子がうまく勝てるよう誘導してあげて、基本といいますか、将棋の本筋はこういうものだってことをしっかり教えるんです。

──まず将棋の本筋、基本をしっかり身につけさせるのですね。

ええ、やはり本筋を覚えないことにはどうにもなりません。しかし、どこで見たのか、「この手はだめだ」と教えたことをやってくる子が時々いて困るんですよ。そんな時には、まあ、やってみなさいと言って、その手を実際に盤上でつぶして見せるんです。すると、その子もだめな理由を理解して自然にやらなくなっていきます。

──これまで多くの子供たちを指導してきて、強くなっていく子に共通するものはありますか。

一人ひとり個性が違いますから、一概には言えませんけれども、やはり強くなる子には他の子にはない何かズシンと響いてくるもの、光るものがあります。私も長くトップ棋士と戦っていましたから、肌感覚で「この子はすごくなるな」と大体分かるんです。
ただ、いくら才能があっても努力しなければ伸びません。光るものがあり、なおかつ努力する、そういう子は強くなりますよ。私の経験だと、将棋が一番強くなるのは高校生くらいの時期です。棋士として大成するには、その時期にどれだけ集中して努力できるかが非常に重要だと思っています。
藤井聡太さんは高校を途中で辞めて将棋に専念しましたが、その選択はプロとしてやっていく上では正解だったと思います。後ほど詳しくお話ししますが、私も10代から師匠に入門し、5年間ほどはとにかく朝から晩まで将棋に没頭しました。いま振り返っても、その必死の5年間の努力がいまの自分の基礎になっているんですね。

──一つのことに浸り切る期間がその人の土台をつくると。

もう一つ言えば、将棋の世界に限らず、スポーツでも何でも一流になった人で「俺が強いから勝ったんだ」と威張っている人はいませんね。一流の人の発言を調べてみると、「お陰様で」「巡り合わせで」という言い方が多いそうです。藤井さんでも、メジャーリーガーの大谷翔平さんでも本当に謙虚ですよ。だから、自分に対する絶対的な自信を内に秘めながらも、周囲への感謝、「まだ足りない」という謙虚な姿勢を持ち続けられる人が、一流になっていくんじゃないでしょうか。
例えば、お祖父ちゃんに連れられてうちに通ってきた三枚堂さんまいどう達也君(現八段)は、子供の頃から天才だと言われ、テレビの取材が来るほどでした。でも、私はこのままでは天狗てんぐになってしまうと考えて、「この子にはライバルが必要です」とお祖父ちゃんに伝えたんです。そして、引っ張ってきたのが1歳下の佐々木勇気君でした。
すると予想した通り、お互いにライバルとして切磋琢磨し、2人とも狭き門を突破してプロになりました。ただ2人の実力からすれば、まだまだ活躍が足りないですよ(笑)。他の弟子もそうですけれども、「藤井聡太、何するものぞ」との気概で精進を重ね、もっと活躍してほしいと願っています。

将棋棋士九段

石田和雄

いしだ・かずお

昭和22年愛知県生まれ。42年プロ棋士としてデビュー。以後トップ棋士として長く活躍し、平成24年に現役引退。また、解説者としても高い人気を得、現役時代から千葉県柏市で将棋センターを経営。特に子供たちの育成に力を注ぎ、藤井聡太氏の連勝記録を止めた佐々木勇気八段や高見泰地七段など、多くのプロ棋士を育ててきた。著書に『棋士という生き方』(イースト新書)などがある。