2023年2月号
特集
積善せきぜんいえ余慶よけいあり
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  • 人間国宝、人形浄瑠璃文楽座 人形遣い三世 桐竹 勘十郎

一日一日の積み重ねが
我が文楽人生を
ひらいてきた

人間国宝・三世 桐竹勘十郎に聞く

日本を代表する伝統芸能・人形浄瑠璃文楽。その人形遣いの一道を50年以上にわたって歩み続けてきたのが三世桐竹勘十郎氏、69歳である。「足遣い10年、左遣い15年」と言われる厳しい文楽修業を積み重ねてきた勘十郎氏に、若き日の学びや師匠の教え、その中から掴んだ人生・仕事の極意を語っていただいた。

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【人形浄瑠璃文楽】
人形浄瑠璃文楽は、日本を代表する伝統芸能の一つで、太夫・三味線・人形遣いの三業が息を合わせて表現する総合芸術を指す。成り立ちは江戸時代初期に遡り、古くは操り人形、後に人形浄瑠璃と呼ばれるようになった。ユネスコにより平成15年に「人類の口承及び無形遺産に関する傑作」として宣言され、平成20年に「人類の無形文化遺産の代表的な一覧表」に記載された。

60歳を過ぎてからが本当の修業の始まり

——勘十郎さんは、14歳で文楽ぶんらくの世界に入られたと伺っています。50年以上、文楽の道を一筋に歩み続けてこられたわけですね。

私自身は何十年もやってきたという感覚はあまりないんです。気がつくといつの間にか50年も経っていた、そういう認識ですね。

——あっという間でしたか。

あっという間です。よく周りの方からこれまで大変だったなとおっしゃっていただきます。しみじみ振り返れば、確かにいろんな出来事があったのでしょうけれども、それほど大変な道のりだったかなぁと。というのも、ひと言でいえば、文楽の仕事が好きやったんです。しんどいことがあっても、それを忘れさせてくれるくらい仕事が好きで、楽しかった。
仕事が「好き」というのは、何物にも勝る大事なことだと思っています。ですから、好きになれる仕事に出合えて、50余年ずっと続けてくることができた。それが私にとって一番の幸せですね。

——好きという思いが勘十郎さんの文楽人生を導いてきてくれた。

それに文楽の世界では、何十年と修業、下積みを積み重ねてきて、60歳くらいでやっと花咲く時期を迎えるんですね。それまで積み重ねてきたものが思うように使えるようになるのが60歳頃で、そこからさらなる高みを目指して少しずつ修正を加えていく。
ですから、一生修業というように、「はい、ここで終わり」というものがないのがこの世界です。
私の師である吉田みのすけ師匠は、2021年に88歳で引退されましたけれども、「やりつくした」と(笑)。本当に格好いいです。私もそう言って引退したいところですが、師匠の年齢まで20年ありますのでね。本当にまだまだこれからなんです。やり残したこと、やりたいことがいっぱいあります。

——ああ、まだまだこれから。これからが本当のスタートだと。

ええ、いまが一番楽しいですね。これは数年前のことなのですが、ある時から力を入れずに人形がものすごく楽につかえるようになったんです。そして、自分でびっくりするくらい人形が動くんですよ。太夫たゆうさんのじょう(語り)が耳に入った瞬間、勝手に人形が動いている、というくらいに。
私は若い頃から、人形を遣うと汗をびっしょりいて、「汗を掻かないのも、芸のうちや」と師匠によく言われていました。要は無駄な力を使って人形の動きを殺していたんです。それが数年前に「汗を掻かずに人形を遣うってこういうことか」とふっと分かった。これは、本当に自分で体験してみなければ分からない感覚ですね。
芸は人から教わるものではなく、自分で努力して見つけるもの、そのことを改めて実感しました。

——そのような実力が認められ、勘十郎さんは令和3年7月に「重要無形文化財(人間国宝)」に認定されました。先代のお父様(二世桐竹勘十郎/故人)も、簑助師匠も人間国宝とのことで、喜びもひとしおだったのではないですか。

認定を知らせる電話は自宅に突然掛かってきたのですが、自分が選ばれるとは思ってもいませんでしたし、喜びよりも、責任の重さのほうが先にきましたね。「これは、えらいこっちゃぞ」と。
真っ先に師匠に報告をしましたが、電話口で「おめでとう、おめでとう」と何回も言ってくださいました。師匠がお元気なうちに報告ができてよかったと思います。
ただ、認定されたからといって急に何かが変わるわけではありません。過去に積み重ねてきたものを評価していただいたわけですから、これからもいままで通り力を入れず、体が続く限り舞台に立ち、自分に与えられた責任を果たしていきたいですね。

——先代のお父様が生きていれば、何とおっしゃったでしょうか。

父は66歳で亡くなりましたので、その父の年齢を一つでも二つでも越えるというのは、私の一つの目標ではありました。
それは実現できましたけれども、芸に関しては、やはり父の域にはなかなか到達できません。ですから、私の認定に対して、きっとあちらの世界で「なんでおまえが!」って怒っているでしょうし、大先輩方と集まっていい話の種になっているのではないでしょうか。
父や大先輩方と比べれば、本当に私らの芸はまだまだなんです。

人間国宝、人形浄瑠璃文楽座 人形遣い

桐竹 勘十郎

きりたけ・かんじゅうろう

昭和28年大阪府生まれ。42年文楽協会人形部研究生になり、三世吉田簑助に入門、簑太郎を名乗る。61年咲くやこの花賞、63年大阪府民劇場賞奨励賞、平成11年松尾芸能賞優秀賞。15年父・二世桐竹勘十郎の名跡を継ぎ、三世桐竹勘十郎を襲名。20年芸術選奨文部科学大臣賞、紫綬褒章、21年日本芸術院賞。令和3年重要無形文化財保持者(人間国宝)認定。著書に『なにわの華文楽へのいざない:人形遣い桐竹勘十郎』(淡交社)『一日に一字学べば……』(コミニケ出版)などがある。