2019年8月号
特集
後世に伝えたいこと
対談
  • (左)力の源ホールディングス社長、博多一風堂創業者河原成美
  • (右)デザイナーコシノジュンコ

人生は、いつもこれから

未完成の中の完成を見つめて

ニューヨークやパリなど世界の舞台で活躍を続け、日本を代表するデザイナーであるコシノジュンコさん。人気ラーメン店「一風堂」をはじめ、ラーメン業界に革新を巻き起こしてきた力の源ホールディングス社長の河原成美氏。分野は違えど、共に道なき道を切り開いてきたお二人に、仕事を通じて得た人生の妙諦、何歳になっても溌剌として生きるヒントを語り合っていただいた。

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※対談は、東京・青山にあるコシノジュンコさんのレジデンスで行われた。

思ったらすぐ行動それが成功への道

河原 きょうはこのような貴重な対談の機会をいただきありがとうございます。

コシノ いえ、とんでもない。こちらこそ光栄です。

河原 コシノさんと初めてお会いしたのは、共通の友人のパーティーの席でした。それが12年前。

コシノ その頃、私は既に一風堂のラーメンのことはよく知っていました。

河原 東京・六本木のお店にご夫婦でよく食べに来てくださっていました。

コシノ そう。間違いなく絶対美味おいしいから、私、一風堂だけは安心して食べに行けたんですよ。
そのような出逢いがあって、ある時、横浜の中華街を歩いていたら、すごくいい素焼きの鍋を見つけて、「この鍋で一風堂の即席めんをつくったらどれだけ美味しいかな」と。それで河原さんに、「中華街で見つけたお鍋で、自宅で一風堂のラーメンをつくって食べるのが理想なの」と言ったら、翌日、ぐ私のところまで来て、「どんなお鍋か見たい」と言うんです。

河原 そうでしたね。

コシノ 河原さんの行動の速さにはもうびっくりしましたよ。

河原 そのお鍋で美味しい即席麺ができるのは分かったのですが、「せっかくだから創作でラーメンをつくります」と、その時はフカヒレラーメンをつくった。

コシノ 私の自宅のキッチンで麺をはじめ全部材料からつくってくれましたね。それこそラーメンのオートクチュールですよ。
河原さんが「世界で最高のラーメンをつくる」と言うから、私も20人の友達を呼んで、20台のカセットコンロをセットして「せいの!」で火をパパパッとけて熱々あつあつの創作ラーメンを全員で食べました。やはり、贅沢ぜいたくというのはね、勢いと心が伴わないと。

河原 僕は勢いだけだから。

コシノ 勢いといっても、すぐ実行することが成功の道です。思ったらすぐ実行する、それが河原さんですよ。あの日から河原さんをますます好きになっちゃって。

デザイナー

コシノジュンコ

大阪府岸和田生まれ。1960年代より数々のグループサウンズの衣装で活躍。日本万国博覧会(大阪万博1970)にて生活産業館、ペプシコーラ館、タカラ館の3パビリオンのユニフォームをデザイン。1978年から22年間、パリコレクションに参加。1985年北京での中国最大のショウをきっかけに、ニューヨーク(メトロポリタン美術館)、ベトナム、キューバ、ポーランド、ミャンマーなどでファッションの枠を超えた日本文化を発信するショウを開催してきた。DRUM TAOの舞台衣装や琉球海炎祭、花火のデザインも手掛ける。東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会文化・教育委員、2025年国際博覧会誘致特使。2017年文化功労者。文化庁 「日本博」企画委員。TBSラジオ「コシノジュンコMASACA」(毎週日曜17時~)放送中。

異なる分野の出逢いが新しいアイデアを生む

コシノ いま私が衣装をデザインしている和太鼓集団「DRUMドラム TAOタオ」との関係の始まりも、河原さんがきっかけでしたよね。

河原 TAOのことを知ったのは2008年、研修所をつくりたいと思って場所を探している時でした。大分県竹田市の「TAOの里」というところで、共同生活をしながら和太鼓に取り組んでいる人たちがいると耳にしましてね。参考になるかもしれないと、現地を訪れてみると、これがすごい和太鼓集団だったわけです。彼らの演奏を聴いて、もう感動して……。
それで、TAOの代表の方に「どうしてこんな田舎にまで来たのですか?」と聞かれたので、理由を伝えたら「隣によい土地がありますよ」と、とんとん拍子で研修所の場所が決まって。それからTAOとの付き合いが始まりました。
TAOの演奏は間違いなく素晴らしかったのですが、衣装に関しては「コシノさんにデザインしてもらったら、ものすごくいいものになる」と直感しました。実際にコシノさんにTAOを紹介したのは2010年頃でしたか。

コシノ ええ、東京の赤坂ブリッツで舞台をやるというので、観に行きました。ただ、実はね、「和太鼓」と聞いても最初はピンとこなくて、「河原さんが熱心に勧めるから、しょうがない」と、ちょっと遅れて会場に行ったんですね。
でも実際に見てみたら「この人たち、衣装を取っ替えたら面白いことになる」って、急にやる気がメラメラっとなっちゃって。

河原 彼らの舞台にはそれだけ訴えるものがあったんですね。

河原氏から紹介を受け、コシノさんが手掛けたTAOの衣装

コシノ 舞台の帰りにTAOのメンバーと六本木の一風堂に河原さんのご案内でラーメンを食べに行きましたが、皆、本当に純粋で素敵なんですよ。一風堂のラーメンを通じてTAOと一気に関係が深まって、それ以来、衣装をデザインするようになり、もう9年目。

河原 TAOはいま世界中で大ブレークしていて、日本全国、海外公演の時も全部コシノさんがデザインした衣装で、彼らはすごくかっこよくなりました。

コシノ これも感覚的なものですよね。ぽっと舞台なりを見て、「もっとこうしたらいいのに」みたいなアイデアが湧いてくる。

河原 僕はただTAOのことが大好きで、コシノさんと彼らが結びついたらすごい舞台ができるなと思っただけです。

コシノ 演出家ですね(笑)。いまもこうやって河原さんとお話ししていますけど、異業種ですよ、まったくの。私、異業種の人とお話をするのが大好きなんですね。お互いにない面を持っているから、その出逢いは必ずクリエイティブなものになるんです。

河原 先ほど僕のことを「行動力がある」と褒めてくださいましたけど、コシノさんの行動力のほうがすごい。コシノさんが「文化功労者」を受章された時、パーティーがありました。いつ頃だったかな。

コシノ 昨年の1月ですね。

河原 コシノさんは、パーティー当日、滞在していたタジキスタンから戻ったその足で会場に来られました。臨席されていた女優の倍賞ばいしょう千恵子さんが「あなた、きょうタジキスタンから帰ってきたばかりでしょう? 時差は大丈夫なの」と聞いたら、コシノさんは「時差なんか平気よ。いまいるところが私の場所なんだから、時差なんか私に関係ないもの」と。この言葉はものすごく勉強になりました。
一風堂は海外に店舗を展開しているので飛行機での移動は多いんですが、帰ってきて社員から「時差は大丈夫ですか?」と言われても、それからは「コシノさんが平気なんだから、僕が時差がどうだとか言っておられんやろう」と言っています。

コシノ そうなんですね(笑)。あと、私は飛行機で移動する時間が楽しみなんです。誰からも電話はこないし、自分の世界にひたれるから、もう夢の世界なんですよ。だから、人間って宙に浮いているのがいいのではないですか(笑)。

力の源ホールディングス社長、博多一風堂創業者

河原成美

かわはら・しげみ

1952年福岡県生まれ。1979年にレストランバー「アフター・ザ・レイン」を開店。1985年「女性が集まる、おしゃれでかっこいいラーメン店」というコンセプトで「博多 一風堂」をオープン。1997年TVチャンピオンの「全国ラーメン職人選手権」優勝後、3連覇達成。ニューヨークを皮切りに世界各国に店舗を展開(2019年3月末現在国内外合わせて266店舗)。2010年全米の「TOP 10 Restaurants」(Yelp)で1位を獲得。2003年から小学生を対象にラーメンや餃子の作り方を教える「出前授業」にも取り組み、その数は700校を超える。『「7つの習慣」と「一風堂」』(PHP研究所)など著書多数。