2022年3月号
特集
渋沢栄一に学ぶ人間学
我が心の渋沢栄一⑤
  • モラロジー道徳教育財団道徳科学研究所教授髙橋史朗

日本人よ
絆と道義を取り戻せ

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「私は論語で一生を貫いてみせる」

以前、作家の曽野綾子さんが新聞に寄稿された一文が、いまも強く印象に残っています。

「建築の強度偽装、自動車の燃費に関する虚偽の申告、歴史ある大手企業の粉飾決算など、日本人の誇りだった誠実と職人気質かたぎを失った姿を見ると、私はわが国の将来に暗澹あんたんたるものを見る。彼らは仕事の発注者や株主や消費者をだましただけではない。日本という国を詐欺さぎの容疑で売った新しい『売国奴ばいこくど』に等しいのである」

曽野さんは、相次ぐ企業不祥事を痛烈に批判しつつ、日本人から道徳心が失われたことに警鐘けいしょうを鳴らされました。

私がこの記事を読んで思い起こしたのが、ソニー創業者・井深まさるさんの『あと半分の教育』という本です。教育学を専攻する私が、アメリカで占領政策の研究を終えて帰国した1980年、最初に講演の依頼をいただいたのが井深さんでした。井深さんは、その時の活発な議論をもとに『あと半分の教育』という本を上梓じょうしされ、占領軍によって教育基本法と補完併存関係にあった教育勅語という道徳が否定された戦後の日本では、あと半分の教育、すなわち核となるべき道徳の欠如した教育が続けられてきたことを指摘されました。曽野さんが痛烈に批判された企業不祥事が日本で頻発ひんぱつするようになったのも、必然の結果といえます。

そんな私が強くかれるのが、他ならぬ渋沢栄一なのです。

周知の通り渋沢は、日本の近代化の立役者であり、実業の世界で偉大な業績を残す一方で、『論語と算盤そろばん』などの著書を通じて、道徳経済合一説を提唱し、道徳と教育の大切さを説きました。

「商工業者の品位を高める事が必要であると考え、自ら率先して論語の教訓を服膺ふくようし自ら範を示すと同時に民間実業家の品位を高めようと考えたのである。論語は2400年以前の古い教訓であるが、吾々われわれの処世上最もたっとき実践道徳であり、また実業家の金科きんか玉条ぎょくじょうとなすべき教訓も沢山たくさんにある。(中略)私は実業界に身を投ずるに当って、論語の教えに従って商工業に従事し、知行合一ちこうごういつ主義を実行する決心である」(『渋沢栄一自叙伝』)

渋沢がり所としていたのが、『論語』でした。「私は論語で一生を貫いてみせる」と宣言し、『論語』を机上の学問ではなく、実践道徳としてとらえ、知行合一の精神でこれを実行したところに私は深い感銘を受けるのです。

さらに渋沢は、自らの体験に基づいて「富を成す根源は、仁義道徳(仁愛じんあい道義どうぎ)」「正しい道理の富でなければ、その富は完全に永続することができぬ」と説き、商工業者の武士道ともいうべき「実業道」を提唱。この実業道を推進するために人格を高める修養を重視しています。

私がかつて埼玉県の教育委員長を務めていた際に痛感したのは、教員研修に修養という視点がないことでした。教育基本法第九条には「教員は絶えず研究と修養に励み」と定めてありますが、研修で行われるのはもっぱら知的な研究ばかりで、自分自身を高め、深めるための修養がないのです。

それだけに、渋沢が実業を士道という視点で捉え、日々の経営活動において道徳を実践し、自分を磨くことの重要性を説いたことに、私は大いに共感を覚えたのです。

モラロジー道徳教育財団道徳科学研究所教授

髙橋史朗

たかはし・しろう

昭和25年兵庫県生まれ。早稲田大学大学院修了後、米国スタンフォード大学フーバー研究所客員研究員、明星大学教授、埼玉県教育委員長、男女共同参画会議議員等を経て、現在、モラロジー道徳教育財団道徳科学研究所教授などを務める。著書に『日本が二度と立ち上がれないようにアメリカが占領期に行ったこと』(致知出版社)など。