2020年3月号
特集
意志あるところ道はひらく
  • JR東海名誉会長葛󠄀西敬之

かくして道なき道を
切りひらいてきた

日本の国土面積の約一割ながら、日本の人口とGDPの約6割を抱える地域を結ぶ東海道新幹線は、まさに日本の大動脈輸送に他ならない。その東海道新幹線を中心に鉄道事業を展開するJR東海を、創業時より牽引してきたのが名誉会長・葛西敬之氏である。かつて経営危機に陥った国鉄の分割民営化を現場で推進し、多額の債務を背負ってスタートしたJR東海を今日へと繁栄発展させてきた。その道なき道を切りひらいてきた挑戦の歩みと、リーダーが持つべき姿勢とはいかなるものか。

    この記事は約26分でお読みいただけます

    鉄道一筋に歩み来て57年

    私は法律と経済を大学で勉強しましたが、人間学というのは一生を懸けて積み重ねていく教養であると思っています。何でも手当たり次第にというと拡散してしまうため、私は政治史、外交史、戦史、伝記を中心に関心を持ってきました。それが企業経営にも大きく役立ったのではないかと感じているところです。

    大学を卒業して22歳で国鉄(日本国有鉄道)に入社したのは昭和38年ですから、57年間、鉄道一筋に歩んできました。まさに鉄道屋だと言っていいと思います。国鉄には24年間勤めました。そのうち18年間は養成期間のようなもので、国鉄という一つの枠の中で与えられた使命をいかにできるだけ完璧に果たすか、ということを中心に仕事をしてきました。

    ただ、昭和55年に国鉄経営は実質的に崩壊しまして、どうにもならない状況になりました。

    当時、日本の国の財政も悪化しており、財政を立て直すために税金を上げたいと政府は思ったのですが、国民の反対から増税より行政改革が先決だという話になり、昭和56年に第2次臨時行政調査会が発足することになりました。まず国鉄を片づけないことにはその先に進めない。それゆえ、国鉄問題は国家の増税なき財政再建のメーンテーマになったわけです。

    たまたま私はその時に養成期間といえる時期を終えました。養成期間における代表的な経験としては、経営計画室という部署で再建計画をつくったのが3年、経理局という部署で予算要求をしたのが3年、そして地方の鉄道管理局の総務部長として労働問題、要員問題をやったのが4年。大抵の人は財務部門か労務部門のどちらかに分かれるのですが、予算と長期計画と労働問題、これらの統制部門をひと通り経験できたことは非常に運がよかったと思います。

    昭和56年に第二臨調担当の調査役に任命されてからは、何がどうなるかまったく決まっていない、地図のない荒野こうやに道をつくっていくような仕事を六年間行い、その先に分割民営化が実現しました。

    分割民営化以降の33年間はもっぱらJR東海の創業・発展にたずさわってまいりました。これも前人未踏ぜんじんみとうのことが多く、本当にいろんなことを試されることにもなりましたし、試された結果が如実にょじつに表れることにもなりました。

    経営で大切なのは人間を掌握しょうあくすることであり、合理性・正当性を見極めて自分自身や組織の方向を決めることなのですが、その際に法律学とか経済学といった実学はもちろん基礎としては必要であるものの、最後に鍵を握るのは大局観や長期展望です。これは鉄道だけではなく、どこの業界にいても同じような形で必要となる一つの教養であると思います。

    教養というのは、こうすれば良いという答えが書いてあるわけではありません。思いつく様々な着想とかアイデアを現実のものにしていくプロセスの中で、血となり肉となり、直感力の根源となるものです。その具体例を交えながら、JR東海創業に当たって一体どのようにものを考え、意思決定をしてきたのか、経営の実践論をお伝えしたいと思います。

    JR東海名誉会長

    葛󠄀西敬之

    かさい・よしゆき

    昭和15年生まれ。38年東京大学法学部卒業後、日本国有鉄道入社。44年米国ウィスコンシン大学経済学修士号取得。職員局次長などを歴任し、国鉄分割民営化を推進。62年JR東海発足と同時に取締役総合企画本部長。平成7年社長。16年会長。26年より名誉会長。著書に『飛躍への挑戦』(ワック)など。