世界の強豪ひしめく総合格闘技界で長く活躍し、引退後は企業向け研修「ファイトネス」の普及や絵画の制作など、多方面で人々の幸福実現のために力を尽くしている大山峻護氏。事故による頸椎損傷という苦難にも屈せず、2016年のリオデジャネイロパラリンピックにて日本車いすラグビー史上初の銅メダルを獲得し、現在はパラサイクリング選手として飽くなき挑戦を続ける官野一彦氏。人生の様々な山坂を経験してきたお二人が語り合う、勝利への道、人を生かし自らを生かす道とは――。
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元総合格闘家
大山峻護
おおやま・しゅんご
昭和49年神奈川県生まれ。5歳から柔道を始め、中学2年生で講道学舎に入る。平成5年作新学院高等学校卒業、9年国際武道大学卒業。10年第28回全日本実業柔道個人選手権大会・男子81kg級優勝。13年柔道選手からプロ格闘家に転身。22年「マーシャルコンバット」ライトヘビー級タイトルマッチ王座獲得、24年初代ROAD FCミドル級王座獲得。26年現役引退。現在は格闘技を応用した研修プログラム「ファイトネス」を通じて、教育機関や企業などでチームビルディング、メンタルタフネスに尽力している。また、令和2年に一般社団法人You-Do協会を立ち上げ、アスリートと児童養護施設等の子供たちを繋ぐ活動にも取り組む。著書に『ビジネスエリートがやっているファイトネス』(あさ出版)などがある。
パラサイクリング選手
官野一彦
かんの・かずひこ
昭和56年千葉県生まれ。野球の強豪・木更津総合高校にスポーツ推薦で入学し、1年生からレギュラーで活躍。卒業後はサーフィンを始めるが、平成16年22歳の時にサーフィン中の事故により頸椎を損傷し、車いす生活となる。18年車いすラグビーを始め、ロンドン、リオデジャネイロと2大会連続でパラリンピックへ出場。リオでは日本車いすラグビー史上初の銅メダルを獲得。令和2年車いすラグビーから引退し、現在はダッソー・システムズ株式会社所属のパラサイクリング選手としてロサンゼルスパラリンピックを目指している。同2年TAGCYCLE株式会社を設立し、様々な活動を通じて社会に貢献している。