2017年12月号
特集
インタビュー①
  • 建築デザイナーカールベンクス&アソシエイト代表カール・ベンクス

高い壁にも必ず
向こうに行けるドアがある

日本の原風景が残る新潟県十日町市の竹所集落に暮らしながら、日本人が誰も顧みなかった「古民家」の再生に、20年以上にわたり力を尽くしてきたドイツ人建築デザイナー、カール・ベンクス氏。ベンクス氏が語る、古民家再生に込める思い、そして自国の歴史や文化を忘れてしまった日本人へのメッセージとは──。

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父から受け継いだ日本への思い

——木のいい匂いがして心が和みますが、このベンクスさんの事務所も古民家を再生したものですか。

この建物は明治時代に建てられ、もともと「松栄館」という老舗旅館として使われていたものなんですが、10年前にオーナーから譲っていただきました。
当時、地元の銀行が私も含めた取引先を招き、松栄館で懇親会を開いたんです。その時に建物の造りをよく見てみると、羽目板やクロスの下に欅の部材が見えた。帰り際、女将に「ここはいい建物ですね」と褒めたら、「気に入ったのならあげます」と言うんです。
さすがに冗談だと思ったんですが、後日再び女将さんから、建物は老朽化して継ぐ者もいない。もう壊してしまうから引き取ってもらえないかと言われましてね。ちょうど事務所にする大きめの古民家を探していたこともあって、譲ってもらうことにしたんです。
それで、建物の骨組みや古い木材は残しながら、2階は事務所にし、1階は古民家に興味がある人が集まってパーティーやコンサートなどができるカフェ・レストランとして建て直したんですよ。

——本当なら壊されるはずだった古民家を甦らせたわけですね。ベンクスさんは、もともと日本の古民家に興味があったのですか。

私は1942年、ドイツ・ベルリンに生まれました。
なぜ日本に興味を持ったかというと、私が生まれる1か月前に戦死した父が、日本の大ファンだったんですよ。ですから自宅に浮世絵や日本刀、日本に関する本などが数多く残されていたんです。
その中には、桂離宮など、日本の伝統建築の素晴らしさを世界に紹介したドイツを代表する建築家、ブルーノ・タウトの著書『日本美の再発見』もありました。父の遺品に触れたことで、12歳から柔道を習い始めたりと、日本への興味を深めていったんですね。

——亡くなったお父様の日本への思いを受け継がれたと。

ただ、6歳の時にアメリカと旧ソ連の対立からドイツは東西に分割され、東側に住んでいた私たち家族は旧ソ連統治下の東ドイツ国民になってしまったんです。当時はまだ西側と自由に行き来ができたのですが、1961年に「ベルリンの壁」がつくられることが決まると、兵隊が来て西側に出られなくなってしまった。
その時、私は既に西ベルリンに部屋も借り、仕事に就く準備を進めていましたから、一人で川を泳いで、西側に逃げたんですよ。

——大変な思いをされましたね。

西ベルリンでは、建築物の内装の勉強や仕事をしていたのですが、たまたま見たテレビで日本の空手を知りましてね。空手の道場があったフランスのパリに移って、昼は建築デザインオフィスで働き、夜は空手の稽古という毎日を送るようになりました。
それで、日本で空手を学びたいという思いが募り、東京オリンピック後の1966年、24歳の時に船で日本に渡ったんです。

カール・ベンクス

カール・ベンクス

1942年ドイツ・ベルリン生まれ。ベルリン、パリで建築デザインオフィスに勤務しながら建造物・家具の修復を学ぶ。1966年に初来日。以後、建築デザイナーとしてヨーロッパや日本で活動。1994年から新潟県十日町市竹所集落に暮らしながら、地域に残された古民家の再生に取り組む。2017年1月「ふるさとづくり大賞」(総務省主催)の内閣総理大臣賞を受賞。著書に『古民家の四季』(新潟日報事業社)などがある。