2019年10月号
特集
情熱にまさる能力なし
インタビュー①
  • 棋士四段今泉健司

30年越しに叶えた
プロ棋士という夢

2014年12月、戦後最年長の41歳でプロ棋士になった人がいる。今泉健司氏である。夢を叶えるまでの歩みは自己との闘いの連続だったというが、氏はいかにして勝利を掴んだのか。その七転八倒の軌跡を通じて、情熱を燃やして生きることの意義をお話しいただいた。

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    将棋が教えてくれた人生の「苦」と「楽」

    ——今泉さんは2014年12月、将棋のプロ編入試験に合格され、戦後最年長のプロ棋士として一躍注目を浴びましたね。

    ありがとうございます。まっすぐ努力した人だったら、僕のような遠回りの人生を送ることはなかったと思いますが(笑)、遅まきながらもようやくスタート地点に立ったので、いまは一局でも多く勝てるよう日々闘っています。

    ——念願だったプロになられて、感じていることはありますか?

    やっぱり一流と呼ばれる人たちはスタートの段階から目指している地点が高いのだと痛感させられました。メジャーで大活躍をされたイチローさんが、自分はこれだけつらい練習をしているのだから必ずプロ野球選手になれると、小学6年生の時の作文に書いていたというのは有名な話です。残念ながらそういう方々と比べると、僕の動機が「プロ棋士になれたらいいな」という漠然としたものだったから、人の何倍も遠回りをし、七転八倒してきたのだと思います。
    でも、いまではその経験のおかげで、講演の依頼を多方面からいただくようになりましたから、人生何が正解か分かりませんね。

    ——将棋はおいくつの時に始められましたか?

    小学校2年生の夏です。学校の図書室でパッと目についた本があって、それがたまたま将棋の本だったんです。
    帰宅後、将棋のルールを知っていた父と対戦することになりました。父はアマチュア7~8級くらいのレベルだったと思いますが、ルールを覚えたばかりの僕が勝てるわけもなく、あえなく完敗。それまでの僕は勝負事には無関心だったんですけど、なぜかその対局で負けた時、無性に悔しさが込み上げてきたのです。

    ——初めて悔しさを抱かれた。

    その日から父が帰宅すると一局指すのが日課になりました。ただ、父はまったく手加減をしないので、97回も負け続けました。
    そんなに連敗し、なぜあきらめなかったのかと言ったら、あまりに悔し過ぎたんです。「1回勝つまでは絶対にやめない!」と鼻息を荒くして、将棋の本を借りてきては、勝つ方法を自分なりに模索していました。そうして半年ほど経った頃、初めて父に勝利することができたんですけど、その時の喜びは一生忘れません。
    だから将棋が僕に、人生で最初の「悔しさ」と「喜び」を教えててくれたのです。

    ——将棋が人生を教えてくれたのですね。

    これが僕の原点です。その後は強くなりたい一心で、学校が終わると地元・広島県福山市の将棋クラブに通い詰める日々が始まりました。若さもあったのでしょうが、学ぶほど実力と自信がつき、ますます将棋にのめり込みました。

    棋士四段

    今泉健司

    いまいずみ・けんじ

    昭和48年愛知県生まれ、広島県育ち。62年14歳で奨励会に入会。平成11年26歳の時に年齢制限のため奨励会を三段で退会。19年33歳で三段リーグ編入試験に合格し、奨励会へ復帰するも、2年後に再び奨励会を退会。その後は、広島県福山市の介護施設で職を得て、26年まで介護ヘルパーとして働く。同年12月8日プロ編入試験合格。41歳でプロ入りするのは戦後最年長。