2021年7月号
特集
一灯破闇
対談
  • (左)泰門庵住職堀澤祖門
  • (右)俳優滝田 栄

道を求める心が
世の一灯となる

12年籠山行という難行を戦後初めて満行した泰門庵住職・堀澤祖門氏。舞台やテレビで活躍する一方、仏道修行や仏像彫刻を通して道を求め続ける俳優・滝田栄氏。様々な実践を通して社会の一隅を照らし続けてきたお二人の歩みから、志を抱いて一途に人生を生き切ることの意義を教えられる。

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純粋に信仰に生きるということ

滝田 この滋賀院には初めて伺いましたが、いいところですね。

堀澤 ここは比叡山延暦寺ひえいざんえんりゃくじ本坊ほんぼうでございましてね。庭園は県の名勝に指定されているんです。それにしても、きょうは遠路、滋賀の大津まで足をお運びくださってありがとうございます。

滝田 こちらこそ、堀澤先生に久々にお会いできて嬉しく思っています。

堀澤 どうですか。相変わらずお忙しくされていますか。

滝田 いまは八ヶ岳の海抜1200メートルのところにあるアトリエを活動の拠点にしていて、もっぱら瞑想三昧めいそうざんまいといった生活なんです。

堀澤 私も若い頃は山男でしてね、百名山のうち30くらいは登りました。八ヶ岳と聞いてその頃のことを思い出しておりました。
滝田さんと最初にお会いしたのは2019年でしたね。広島の太光寺で行われた大般若経だいはんにゃきょう転読法要に滝田さんもお見えになっていた。別室で多くの人と食事を共にさせていただいた時、私の正面の隣にお座りになっていた方が1番先に名刺を出されて、私がその方に「そういえば、俳優に同じ名前の方がいらっしゃいましたね」と申し上げたら、周りの人が「この方がそうです」と(笑)。大変驚きまして、それ以来のおつき合いということになります。

滝田 そうでしたね。あの時は帰りの新幹線も偶然ご一緒でした。
僕は何人かの聖者に仏教の教えをいただいてきましたが、それまで天台のお坊様とはお話ししたことがありませんでした。お若い頃に十二年籠山行ろうざんぎょうという大変な行を満行なさったと聞いて、怖い方というイメージがあったのですが、実にオープンな方でいらして……。

堀澤 私は滝田さんが仏像を彫られていることは早くから存じ上げていました。広島の法要の後、しばらくして京都の三千院にお出でになった時、「観音かんのん像をお納めいただけませんか」とご依頼申し上げたところ、「分かりました」とすぐにお持ちくださいました。「この観音様を彫り上げるのにどのくらい掛かりましたか」とお聞きしたら「3年掛かりました」と。いまはそれを三千院の観音堂におまつりして、多くの方に拝んでいただいているんです。

滝田 そうですか。ありがとうございます。お声を掛けていただいた時、長い時間を掛けて丁寧に彫った観音菩薩ぼさつが仕上がる前だったんです。他ならぬ堀澤先生からの頼みとあって2つ返事でご承諾し、お持ちしました。

堀澤 私は滝田栄さんという有名な俳優さんが、俳優業だけに留まらずに仏道修行に打ち込まれている姿、本物を求め続けていられる姿にいたく感銘を受けまして、滝田さんが美濃みの正眼寺しょうげんじでなさった講演の内容を私どもの機関誌『三千院』に4回に分けて連載させていただきました。これが非常に好評でしてね。
このことはまた後でお話しさせていただこうと思いますが、いまは宗教界が非常に困難な時代になってきています。その理由はやはり現代科学の浸透です。科学が宗教の世界にまで入ってきて、純粋に信仰に生きることが難しくなってきた。その点、様々な体験を通して仏教の教えを体得されてきた滝田さんの姿勢には大変教えられるものがあるんですね。

泰門庵住職

堀澤祖門

ほりさわ・そもん

昭和4年新潟県生まれ。25年京都大学を中退して得度受戒。39年十二年籠山行を戦後初めて達成。平成12年叡山学院院長、14年天台座主への登竜門「戸津説法」の説法師を務める。25年三千院門跡門主。令和3年より現職。著書に『君は仏、私も仏』(恒文社)『求道遍歴』(法藏館)『枠を破る』(春秋社)など。

震災被災者のための「みちびき地蔵」

堀澤 2021年は東日本大震災から10年の節目の年ですが、滝田さんは震災後、すぐに気仙沼けせんぬまの現場に行かれたそうですね。大惨事を目の当たりにされたショックから、亡くなった方の供養のために、どうしてもすぐに仏像を彫らなくてはいけないと決意されたと。そうやって彫り上げられたのが、いま気仙沼の地蔵堂に祀られている「みちびき地蔵」ですね。

滝田 ええ。私が被災した人たちと触れる中で深く思ったのは、私が仏教の師から教えられた「難有なんあり、有り難し」という言葉でした。これは困難に接した時、人は再起する、困難は人が立ち上がって1歩を踏み出すきっかけになるという教えなんですね。
この大変な困難をチャンスに変えるためにも、まずは迷っている霊を供養しつつ、人々のよき未来を祈る場所をつくりたいと思いました。「絶対に実現する」と念じながら一所懸命にお地蔵さんを彫らせていただき、同時に募金活動を行ったところ、短期間でお堂が完成し、地元の方々にも大変喜んでいただきました。家族を亡くされた方がお地蔵さんによってやされ、元気に再起されていくお姿を見る度に僕も嬉しさが込み上げてくるんです。

堀澤 私も実際にその地蔵堂にお参りし拝ませていただきましたが、そこはかなりの高台にある小さな森の中で、等身大のお地蔵さんは右手に錫杖しゃくじょうを持ち、左手には宝珠ほうじゅせてすっくとお立ちになっていた。お顔は引き締まって眼は薄く開かれていますが、すべての人を安養あんにょうの浄土に導かんとする大誓願たいせいがんに満たされているようでした。滝田さんのお話のように、災厄さいやくに遭った人たちはお地蔵さんの前にすだけで、悲しみや苦しみから救われる思いがすることでしょう。
地蔵堂の下に展開する町のほとんどが流されてしまったとお聞きした時は、非常にショックを受けました。真っ暗だったその土地に滝田さんは光を灯され、まさに一灯によって闇を破られたわけですが、そういうことを思いついて行動し、実際にやり遂げられるのが滝田さんの素晴らしさだと思うんです。

俳優

滝田 栄

たきた・さかえ

昭和25年千葉県生まれ。中央大学在学中に演劇と出合い、文学座演劇研究所から劇団四季を経て独立。58年のNHK大河ドラマ『徳川家康』で主演。『草燃える』『なっちゃんの写真館』などのテレビドラマでも活躍。62年に始まった舞台『レ・ミゼラブル』は初演から14年間主役を演じ続ける。料理番組『料理バンザイ!』の司会は57年から20年間務めた。40代で仏像制作を始め、仏教の研究、講演活動なども続けている。