2021年7月号
特集
一灯破闇
対談
  • (左)特殊戦指導者伊藤祐靖
  • (右)熊野飛鳥むすびの里代表荒谷 卓
特殊部隊に学ぶ

危機を突破する
最強組織のつくり方

陸上自衛隊、海上自衛隊にそれぞれ〝特殊部隊〟を創設した荒谷 卓氏と伊藤祐靖氏。死と隣り合わせの極限状態の中で任務を遂行する特殊部隊を1からつくり上げたお2人に、いかなる環境にも屈せず、危機を突破していく最強の人材、強靭な組織のつくり方、そして守るべき日本への思いを語り合っていただいた。

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日本人の生き方を実践し、伝導する

伊藤 荒谷さんが「熊野飛鳥くまのあすかむすびの里」(三重県)の活動を始めてから、もう3年になりますね。

荒谷 ええ、そうですね。米ソ冷戦終結後、アメリカが主導する新世界秩序、いわゆる世界を1つの価値観でおおっていくグローバル資本主義、グローバリゼーションの潮流は、その国がはぐくんできた独自の伝統文化や生活習慣といったものを障害と見なして排除してきました。ただ、私も自衛官時代、自衛隊の活動に従事する中で、ある意味、そのグローバリゼーションの一翼を担っていたわけです。なぜなら、日本政府はアメリカの方針に追従しているわけですから。
それで、日本独自の文化価値を守る必要性をより一層強く感じるようになりまして……2008年に自衛官を退官した後も、国を頼らず日本の文化価値を守り、また体現できる活動ができないかと考え、いろんな場所を歩き回っていたのですが、60歳を前にこの熊野にご縁をいただいたんです。
熊野は歴史的にも日本人にとって非常に特別な場所ですから、ここで自分が理想とする活動をするんだと決意を固めて「熊野飛鳥むすびの里」を設立したんですね。

伊藤 農業や武道、勉強会など、いろいろな活動に取り組んでいてすごいなと思います。

荒谷 大きくは3本柱でやっています。1つには稲作、お米づくりです。日本人がずっと続けてきた稲作に皆と一緒に取り組むことで、共助・共栄の文化を復活させようと。特にこの地域は、過疎化の影響で休耕田がたくさんあるんですよ。地域の方々にご協力いただきながら、そうした休耕田をこの3年間で約1町歩ちょうぶ(1ヘクタール)くらい復活させてきました。
お米を販売するということではなくて、あくまでも稲作文化を実践し、そのお米を皆で食すること自体を目的にしているんです。

もう1つは、講習会や勉強会の開催です。戦後教育によって正しい歴史、伝統文化が日本人の記憶から忘れ去られようとしていますから、日本はどういう歴史を辿たどって、どのように文化を培ってきたのかをしっかり学び直そうと。

そして3つ目は武道。私は若い頃から剣術(鹿島かしまの太刀)や合気道等を学んできたのですが、日本武道は西洋の格闘技のように単に強くなる、人を打ち負かすというものではありません。日本武道はもともと神事としての側面を持ち、戦う前に相手に礼を尽くして無用の争いを避け、やむを得ず戦った場合でも、敵対者に対しても礼を尽くして共に生きる道を探る。
その和を大切にする「和魂」と和を乱す者に対しては勇気をもって戦う「荒魂」の両面を備えた武道を学ぶことで、心と体の両面を同時に鍛錬たんれんし、徳性を養っていくと。特にいま日本は危機、切羽せっぱ詰まった状況にありますから、なおさら武道で心身を鍛錬し、大切なものを守っていく精神的基盤を養っておかなくてはなりません。

伊藤 農・学・武。どれもいまの日本に必要なものですね。

荒谷 あと嬉しいことに、日本のみならず、世界の国々からもたくさんの人がむすびの里に学びに来てくれるんですよ。例えば、ロシアの学校の校長先生は、生徒たちを連れて1週間も滞在していきました。1週間の日本滞在費はロシアの約1か月分の給与に相当するそうです。それでも、学校の勉強より、日本文化を体験することのほうがよっぽど価値があると言うんです。
日本の農業、武道が持っている自然や相手を生かし、共に生きる和の精神性に、海外の人たちは行き過ぎたグローバリゼーションに対する1つの新しい生き方、回答を見ているのかもしれません。

伊藤 自衛官時代から親交のある荒谷さんの価値観、人生観はよく知っているつもりですが、理想とする活動が形になって本当に嬉しく思っています。ただ、正直なところ、最初は経済的に大丈夫かなと不安に思っていました(笑)。

荒谷 私も正直、理想と思いだけでこの地に来ましたから、基盤が整うまで5年はかかると思っていました。もし食べていけなくなったら、サバイバルでもして生きていこうと思っていました(笑)。
でも、地域の人たちが本当に温かく迎えてくれ、助けてくれて、生活するのにはまったく困らないんですよ。食事はほぼ自給・地産で足り、水は山水、家や風呂も皆でつくる。そんなふうにここまでやってきて、まだ3年ですけど、基盤はほぼ整いつつあるなと感じています。

熊野飛鳥むすびの里代表

荒谷 卓

あらや・たかし

昭和34年秋田県生まれ。東京理科大学卒業後、57年陸上自衛隊に入隊。陸上幕僚幹部防衛部、防衛庁防衛政策局戦略研究室勤務の後、米国特殊作戦学校への留学を経て、帰国後に特殊作戦群初代群長となる。研究本部研究室長を最後に平成20年退官。一等陸佐。21年明治神宮武道場「至誠館」館長に就任。30年国際共生創成協会「熊野飛鳥むすびの里」創設。農、学、武を通じて日本文化社会の国内外への普及活動に取り組んでいる。著書に『戦う者たちへ』『サムライ精神を復活せよ!』『特殊部隊vs.精鋭部隊』(いずれも並木書房)などがある。

生命・財産を守る以上に大事なこと

荒谷 伊藤さんも最近はノンフィクションを出版したり、いろんな媒体で評論を発表したり、幅広く活動されていますね。

伊藤 2007年に自衛官を退官した後、これまで3冊ほど本を出版してきました。そのうちの2冊は自分の自衛官時代の体験をもとにしたノンフィクションです。
なぜ本を書くようになったのかと考えてみると、やっぱりまず1つには(海上)自衛隊に入った時の衝撃があるんですね。自衛隊では、自分たちの使命として「国民の生命と財産を守る」と金科玉条きんかぎょくじょうのように教えられるわけです。
それはもちろん大事なことだと分かっているけれども、私はそれだけではすべてを網羅していない、「国民の生命と財産」を守ること以外に、自分が命を懸けてでも任務におもむく大事な理由があるんじゃないかっていう感じを覚えたんです。でも、当時はうまく言語化できなかったので、もやもやしながら、その感覚を忘れるようにして生きていきました。
そして、もう1つ非常に大きかったのは1999年、私がイージス艦「みょうこう」の航海長をしていた時に遭遇した「能登半島沖不審船事件」です。

荒谷 これは、もっと多くの国民が知っておくべき事件ですね。

伊藤 突然、緊急出港がかかり、「みょうこう」が向かった先は富山湾で、与えられた任務は「特定電波を発信した北朝鮮の不審船を発見せよ」とのことでした。北朝鮮の不審船とは、つまり日本人を拉致らちしている北朝鮮の工作母船ということです。
それで北朝鮮の工作母船を追跡した末、政府により発令された「海上警備行動」に基づき、実弾による警告射撃をして停船させ、立入検査となったのですが、我われは相手を沈めるための道具も訓練もしていますが、乗り移って人質を奪還するなんてやったこともないし、訓練したこともない。しかも工作母船には自爆装置が装備されているので、最終的には全滅することは分かっていました。
にもかかわらず、命令ですから、行かなくてはならない。工作母船に拉致されている方は2名程度の見積もりでしたが、こちらは24名が全滅必至でいくわけですから、国民の生命としてはマイナスになり、財産だって作戦行動を取る以上は使うわけですからマイナスです。両方ともマイナスなんですよ。「国民の生命と財産を守る」ことに全くもってつながりません。では何のために彼らを行かせるの?ってことです。

結局は、まさに出撃していく直前に工作母船は動き出し、立入検査をすることはできず、目の前で日本人を連れ去られました。そして、この事件をきっかけに海上自衛隊内に特殊部隊「特別警備隊」を創設することが決まり、私はその部隊への転属を熱望して、その任に当たることになりました。
だから、特に私が拉致問題を扱った『邦人奪還』などのノンフィクションを書いたのは、「国民の生命と財産を守る」では網羅できないものこそが、国が存在する理由であり、いまの日本人はその大事なものを忘れてはいないか? という思いからなんです。

荒谷 『邦人奪還』には私も登場していて、とても興味深く読ませていただきましたけど、ここに書かれていることは政府がその気になればすぐにでも実現するシナリオですよね。また、その時が来れば自らの命をかえりみずに過酷なミッションに従事する日本人がいるんだということが実感として伝わってくる。これはいまの日本に対する問題提起になる本だと思います。

特殊戦指導者

伊藤祐靖

いとう・すけやす

昭和39年東京都生まれ。日本体育大学卒業後、海上自衛隊に入隊。「みょうこう」航海長在任中の平成11年3月、能登半島沖不審船事件を体験。それを契機に、自衛隊初の特殊部隊「特別警備隊」の創設に関わる。19年2等海佐で退官。各国の警察、軍隊への指導で世界を巡り、国内では、警備会社等のアドバイザーを務める傍ら私塾を開き、現役自衛官や経営者らに自らの知識、技術、経験を伝えている。著書に『国のために死ねるか 自衛隊「特殊部隊」創設者の思想と行動』(文春新書)『自衛隊失格―私が特殊部隊を去った理由―』『邦人奪還―自衛隊特殊部隊が動くとき―』(共に新潮社)などがある。