2019年11月号
特集
語らざれば愁なきに似たり
インタビュー④
  • 才能教育研究会名誉会長豊田耕兒

悲しみも苦しみも
それ自体に必ず意味がある

数多くの世界的ヴァイオリニストを育てた鈴木鎮一先生。その愛弟子である豊田耕兒氏は幼くして両親を亡くすという不幸に見舞われながら、人との出逢いと自らの努力によって運命を切り開いていった。その波瀾万丈な半生はいかなるものか。また、音楽の道一筋に80年以上歩む中で掴んだ「人生で大切な心得」「一流プロの条件」とは。

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一流プロとは人生を懸けている人

——スズキ・メソードの創始者である鈴木鎮一しんいち先生のお弟子さんに素晴らしい音楽家がいると伺い、松本までやってまいりました。

私にとってヴァイオリンの師匠であり、人生の恩人でもある鈴木鎮一先生が生前よく登場されていた月刊誌から取材を受けるというのは、実に嬉しいことです。
この9月1日で私は86歳になりました。2~3年前から体が衰えてきて、2018年10月に行われた鈴木先生の生誕120周年記念のコンサートでいたのを最後に、演奏家としての活動は区切りをつけたんですね。
一方、人に教えることはいまでもやっていまして、この才能教育会館の部屋を借りて月に2回レッスンをしています。下は10歳の子から上は60代の方まで、約80名の生徒さんが各地から来てくださっているんです。皆さん本当に一所懸命ですよ。

——これまで数多くの方々を指導されてきたと思いますが、伸びていく人と途中で止まってしまう人の差はどこにあると感じられていますか?

それは非常に難しいですね。鈴木先生はよく「才能は生まれつきじゃない。伸ばしていくことができる」とおっしゃっていましたから、育て方・導き方次第だとは思います。でも、歴史に名を遺している音楽家に共通しているのは、やはり人生を懸けている人だったということでしょう。

——人生を懸けている。

一流プロは単に技術が優れているだけではなく、音楽なら音楽に対しての一つの信念というか哲学というか魂というか、そういう熱い想いを持っている。そこが一番大事な要素で、それを高い技術によって表現し、周囲に伝えることのできる人が一流プロと呼べるのだと思います。

才能教育研究会名誉会長

豊田耕兒

とよだ・こうじ

1933年静岡県浜松市生まれ。3歳の時に父に連れられて鈴木鎮一先生に師事。5歳で母を、11歳で父を亡くす。戦後、鈴木家に引き取られ英才教育を受ける。1952年フランス政府給費留学生として渡仏、パリ国立高等音楽院卒業。1962年よりベルリン放送交響楽団(現ベルリン・ドイツ交響楽団)の第一コンサートマスターを17年務める。ベルリン芸術大学ヴァイオリン科教授、群馬交響楽団音楽監督などを歴任。86歳の現在も後進の育成に余念がない。