2019年4月号
特集
運と徳
対談
  • (左)北海道日本ハムファイターズ監督栗山英樹
  • (右)建築家隈 研吾

すれどうすろがず

来年の東京オリンピック・パラリンピックに向けて新国立競技場の建設が進んでいる。その設計に携わったのが日本を代表する建築家の一人・隈研吾氏である。一方の栗山英樹氏は2016年、監督として北海道日本ハムファイターズを日本一に導いた他、大谷翔平はじめ有力選手を育てた実績を持つ。華やかな経歴のお二人だが、これまでの半生は決して順風満帆ではなかった。お二人は様々な逆境の中でどのように自らを処し、道をひらいてきたのだろうか。その実体験を通して誰にも共通する運と徳の法則を知ることができる。

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新国立競技場の進捗が順調である理由

 お忙しい栗山さんに、僕の仕事場まで足を運んでいただいて恐縮しています。

栗山 とんでもありません。隈さんとお話しできるのをとても楽しみにしていました。選手一人ひとりの力やチームの組織力を高めるのが監督である僕の役割ですし、そのためにもまったく違う分野の方々とこうしてお会いしてお話を伺うことを心掛けているんです。きょうは隈さんにぜひ多くの教えをいただけたらと思っています。

 いや、こちらこそ。僕は横浜の生まれだから、個人的には横浜DeNAベイスターズを応援してきたんですが(笑)、このところ北海道日本ハムファイターズは何かと注目を集めていますね。いまはメジャーに移籍した大谷翔平しょうへい選手の活躍は言うまでもありませんが、清宮幸太郎、吉田輝星こうせいといった有望選手が次々に日ハムに入団している。

栗山 ありがたいことです。本日の特集テーマ「運と徳」になぞらえれば、これも一種の幸運と言えるかもしれません。
隈さんも、来年の東京オリンピック・パラリンピックを目前に控えて、いよいよお忙しくなられたのではありませんか。ちょうどここに来る途中に、隈さんが設計にたずさわられた新国立競技場の横を歩いてきましたが、工事も進んでいて、イメージが大きく膨らみました。

 僕たちのグループ(大成建設・あずさ設計・隈研吾建築都市設計事務所共同企業体)が競技場の建設を請け負って3年が経ちました。ご存じの通り、コストオーバーでコンペを2回やったという経緯がありましたので、その分与えられた工期はものすごく短い。さらにクオリティーの高いものに仕上げなくてはいけないわけですから、これはなかなか大変なんです。

競技場の建設に関わるのは、設計・工事監理、施工それぞれ大小多くのチームが混じり合う、まさに巨大チームです。競技場の大きさからすると豆粒のように見えますが、現場に詰めているスタッフは1日に2,000人を下らないでしょうね。このうち設計・工事監理チームは100人くらいいて、施工図面を見ながら常に進捗しんちょくをチェックしています。 
まぁ何しろ大人数ですから、そこで大切になってくるのは、やっぱりコミュニケーションですね。皆が信頼し合わないとせっかくの大事業も破綻はたんしてしまう。この3年間、僕が最も心掛けてきたのも、簡単に言えばこの「仲よくする」ということなんです。

掲載しているパースは新国立競技場の完成予想イメージであり、実際のものと異なる場合があります。植栽は完成後、約10年後の姿を想定しています©大成建設・梓設計・隈研吾建築都市設計事務所共同企業体

栗山 ああ、仲良くする。

 設計者、建築家と呼ばれる人は、割合に威張っている人が多くて、そうなると周囲は言いたいことも言ってくれなくなる。だけど、問題があったらきちんと指摘してもらうのはすごく大事なことですよね。普段からそういう空気をつくっておけば「こんな問題が起きているから、皆で知恵を出して解決しよう」という話がおのずと生まれてくるんです。
実際、コミュニケーションが上手くいっているおかげで、競技場の工事は周囲が驚くくらいスムーズに進んでいます。

コンペが実施される前、エンブレムのデザイン盗用疑惑などややこしい問題がありましたでしょう? その頃は「何か新しいネタはないか」とマスコミが手ぐすねを引いて待っているような状態でした。だけど、幸いに僕たちの現場のよき空気感がマスコミにも伝わったのか、新聞もテレビもすごく理解ある報道をしてくれて、しかも、近隣からの苦情も少ない。その点でも「仲よくしよう戦略」が功を奏しているのかな、と嬉しく思っているところです。

建築家

隈 研吾

くま・けんご

昭和29年神奈川県生まれ。54年東京大学建築学科大学院修了、60年コロンビア大学建築・都市計画学科客員研究員。平成2年隈研吾建築都市設計事務所設立。21年から今日まで東京大学教授を務める。代表作に、栃木県那珂川町の馬頭広重美術館、東京の根津美術館など。建設中の新国立競技場の設計にも携わる。著書に『負ける建築』(岩波書店)『建築家、走る』(新潮文庫)など多数。

限界の中で最善を尽くす

 競技場の最初のコンペの時、予算の数倍の工事費がかかることが社会的に大問題となりましたので、僕たちが参画した2回目のコンペは予算をグッと抑える条件で行われました。コンペ案の提出まで僅か2か月くらいの期間しかありませんでしたが、僕たちはこの間に図面を描くだけでなく、材料などの積算まで行って臨んだんです。普通、図面を描くだけで2か月はかかることを思うと、まさに驚異的なスピードでした。
だから、この2か月間は文字通り全力疾走しっそうでしたね。別室を借りて、そこに毎晩毎晩大勢のスタッフが集まって皆で議論しながら模型をつくっていくわけです。コンペの準備作業だけでも充実していましたから、チーム内には、たとえ負けたとしても悔いは残らないという雰囲気がありました。

栗山 隈さんにお聞きしたいのですが、コンペのアイデアを練る時、「最終的にこれでいくんだ」という決め手はどのように生まれるのですか。これが一番いいアイデアなのか、それとももっとよいものがあるのかという疑問は常に出てくると思うのですが……。

 もちろん、コンペによってはものすごく迷うものもあります。ただ、今回はコンペまでの期間がとても短かったものだから、迷っている時間はありませんでした。それに競技場ができる明治神宮外苑がいえん一帯は学生時代にテニスをして遊んだことのある場所でしたから、僕の中のイメージが具体的だったことも大きかったですね。あれだけ重要なプロジェクトであるにもかかわらず、迷うことがなかったのが自分でも不思議なくらいでした。

栗山 そうでしたか。これだというイメージが隈さんの中にあったのですね。僕も、自分の指導は本当に正しいのだろうかと迷うことがしょっちゅうです。大谷翔平を投手と打者の二刀流で起用した時も、「やめさせるべきだ」という批判が随分ありました。僕には大谷は二刀流で十分やっていけるという確信がありましたが、正直、そういう批判の中で心が揺れ動くことも少なくなかったんです。

 それは建築家の場合も同じで、迷う要素はたくさんありますから、放っておくと永遠に迷い続けるかもしれません。ただ、野球も建築も「いつまでに」という期限がありますよね。僕は人間にこの期限があるのはとても幸せなことだと思うんです。制限時間の中で結果を出さなくてはいけない以上、どこかで迷いを断ち切る必要がある。ここが建築家とアーティストとの大きな違いです。「限界の中で最善を尽くす」という点では、建築はむしろスポーツに似ているとさえ思います。

北海道日本ハムファイターズ監督

栗山英樹

くりやま・ひでき

昭和36年東京都生まれ。59年東京学芸大学卒業後、ヤクルトスワローズに入団。平成元年ゴールデン・クラブ賞受賞。翌年現役を引退し野球解説者として活動。16年白鷗大学助教授に就任。24年北海道日本ハムファイターズ監督に就任、同年チームをリーグ優勝に導き、28年には日本一に導く。同年正力松太郎賞などを受賞。著書に『栗山魂』(河出文庫)『育てる力』(宝島社)など。