2024年7月号
特集
師資相承
対談
  • 公益財団法人斯文会理事長宇野茂彦
  • JFEホールディングス名誉顧問數土文夫

孔子とその弟子たち
の物語

2,000年以上もの時を経て、いまなお読み継がれている『論語』。そこに刻まれている孔子の卓越した思想は、弟子たちとの問答を通じて導き出され、評価され、私たちの元へ届けられたものである。まさに師資相承の物語ともいえるこの名著について、中国古典研究者の宇野茂彦氏と、弊誌でもお馴染みの數土文夫氏に繙いていただき、孔子が現代を生きる私たちに語りかけるものを考察したい。

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いまこそ求められる心のバックボーン

數土 宇野先生は、お祖父様のてつ先生、お父様のせいいち先生の志を継いで中国哲学の第一人者として活躍なさっていますが、3代続けて1つの学問に取り組んでこられたというのは大変なものだと感服しております。現在はぶんかいの理事長として学問の伝承に尽力なさっているそうですね。

宇野 はい。斯文会というのは、明治に入って東洋の学問が顧みられなくなったことへの危機感から、岩倉ともらが中心になって立ち上げられた斯文学会が前身です。それから明治の末年にも高等師範の先生方が、孔子こうしの祭典を復活させたいというはつをして、これに渋沢栄一や柔道ののうろうなど多くの著名人が賛同してもう一つ会ができましてね。大正7年に2つの会が一緒になっていまの斯文会が発足したんです。恐らく日本で一番最初の財団法人じゃないでしょうか。私の祖父や父も理事長を務めました。
いまは一般公開の講座を月に1回開いて、『論語』や『かん』のどくなどを行っています。

數土 先生がお書きになった『孔子ものがたり』を拝読しましたが、孔子と弟子たちの交流が実に生き生きと描かれていますね。まさしく「そうしょう」の物語といえます。

宇野 ありがとうございます。随分前に書いたものですけれども。

數土 拝読しながら改めて痛感したのですが、政治家も経営者も教育者も、このご本に書かれているような心のバックボーンを持っていないと、未来を担う子供たちをしっかり導いていくことはできないし、それによって日本の国体まで損なわれてしまうのではないかということです。
私は技術屋ですけども、日本が失われた30年、40年といわれる深刻な停滞から抜け出せずにいる間、世界ではIT、AIがすさまじい発展を遂げてきました。こういう時に倫理観というものを見失ってしまったら世の中は混乱してしまうと思うんですが、いまの人はそういうことを教えられていないために、政治家の不正、メーカーのデータ改竄かいざんなど、いろんなところで問題が起きている。家庭や学校で確固たる心のバックボーンに基づいた教育が行われてこなかったために、いまの日本は非常におかしなことになっていると思うんです。

宇野 おっしゃる通りだと思います。

數土 幸い、日本人の心の中には戦前までに培われてきた倫理的な習慣や考え方がまだ残っています。この21世紀には、国単位でも、企業単位でも、家庭単位でもますますそういう倫理観が大事になってくることを多くの人に理解してもらえるようにかんしていかなければならないと思っているんです。

宇野 私もそういう思いで斯文会の活動をしているのですが、コロナや会員の方々の高齢化など、様々な問題があって会を維持していくのはなかなか大変です。

公益財団法人斯文会理事長

宇野茂彦

うの・しげひこ

昭和19年東京都生まれ。43年東京大学文学部卒業。49年同大学院人文科学研究科修士課程修了退学。愛知教育大学、青山学院大学、名古屋大学教授を経て、中央大学教授。現在、中央大学名誉教授、斯文会理事長。著書に『孔子家語』(明治書院)『孔子ものがたり』(斯文会)『諸子思想史雜識』(研文社)など。

『論語』との出逢い

數土 古典の道に進まれたのは、やはりお祖父様やお父様の影響でしょうか。

宇野 学生時代にも研究室の先輩から同じようなことを言われました。「おまえは小さい頃から素読をやって、『論語』なんて逆さまからでも読めるんだろう」とか(笑)。でも、家庭では何もやっていなかったんですよ。
もちろん祖父も父も同じ学問をやっていましたから、普段の会話の端々に『論語』の言葉がよく出てきて、それを何となく聞いて育ってはきました。あとは学校の教科書に出てくる漢文を読むくらいで、最初に『論語』をきちっと通読したのは、大学の研究室に入ってからなんです。自宅にあった祖父と父のかんせきの蔵書が少しは理解できるようになればというところからのスタートでしたね。

數土 お祖父様やお父様から直接指導を受けられたことはありますか。

宇野 大学で父の講義を受けることはできましたが、あいにく祖父から学んだことはほとんどないんです。一度だけレポートを見てもらったことがありましてね。祖父は読むのがものすごく速く、パラパラとあっと言う間に読み終えて「まぁいいだろう」と(笑)。その1回だけなんですよ。祖父と父は学問上の話をいろいろしていましたが、私はそういうことがまぁあまりなかったんです。
経営者である數土さんが、古典を勉強してこられたきっかけについてもお話しいただけませんか。

數土 私の古典体験の入り口になったのは小説でした。小学校5年生の時に吉川英治が『三国志』を書き始めましてね。ひと月に1回ずつ発刊されて14巻で完結したものを、中学1年の夏休みに読んだのが最初です。
ところが、そこで不思議に思ったのは、孔子の話がまったく出てこなかったことです。三国時代の前の前漢、後漢の時代に儒教は国教になったはずなのに、孔子のことも『論語』のことも全く触れられていないのはなぜだろうと。
そこからいろんな古典を読むようになって、初めて『論語』を手にしたのは大学3年生の時でした。私はそれまで『論語』というのは膨大な書物だろうと勝手に思い込んでいたのですが、思いの外短いことにまずびっくりしましたね。
それから、本文中に「こうげんれいしょくすくなしじん」という文章が2回も出てくる。最初はしょくかと思いましたが(笑)、そうではなかった。逆に関心が深まって、『論語』に同じ言葉が何回出てくるかを勘定してみたら、例えば「仁」という言葉は64回くらい出てくるんですよ。技術屋ですから、そういう普通の人とはちょっと違うところから『論語』への興味を深めていったわけです(笑)。

JFEホールディングス名誉顧問

數土文夫

すど・ふみお

昭和16年富山県生まれ。39年北海道大学工学部卒業後、川崎製鉄入社。常務、副社長などを経て、平成13年社長に就任。15年経営統合後の鉄鋼事業会社JFEスチールの初代社長となる。17年JFEホールディングス社長に就任。経済同友会副代表幹事、日本放送協会経営委員会委員長、東京電力会長を歴任し、令和元年より現職。著書に『徳望を磨くリーダーの実践訓』(致知出版社)。