2025年10月号
特集
出逢いが運命を変える
対談
  • 指揮者山田和樹
  • 千葉県少年少女オーケストラ音楽監督佐治薫子

信じる心が
運命の扉を開く

2025年6月、日本人としては佐渡裕氏以来14年ぶりに、世界最高峰のオーケストラであるベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の定期公演に登場し、世界から絶賛された指揮者の山田和樹氏。音楽教師として赴任した小中学校のリード合奏やオーケストラを次々と全国優勝に導き、90歳を迎えるいまなお千葉県少年少女オーケストラの音楽監督として子どもたちの指導に情熱を燃やしている佐治薫子氏。音楽を通じて20年以上にわたる交流を続けてきた両氏に、これまでの歩みを交え、よき出逢いを実現し、運命の扉を開く要諦を語り合っていただいた。

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    対談は、ヨーロッパを拠点に活躍を続ける指揮者・山田和樹氏が演奏ツアーで来日中の7月1日(火)、都内ホテルにて行われた。

    1回1回の演奏に全力を尽くす

    佐治 山田さんが今年(2025年)6月に指揮したベルリン・フィルハーモニー管弦楽団(以下ベルリン・フィル)の定期演奏会は、本当に大成功だったと、現地で演奏を聴いたヨーロッパにいる教え子が話してくれました。とにかく素晴らしい演奏で、聴衆からはスタンディングオベーションが起きました。その様子は日本でも大きく報じられ、私も大変嬉しく拝聴いたしました。

    山田 世界最高峰のオーケストラであるベルリン・フィルの舞台には、指揮者としていつか立てればと夢見ていました。その夢が46歳という、自分が思っていたよりも早く実現したのは本当に嬉しいことですし、感無量でした。
    また指揮台に立つことで、なぜベルリン・フィルが世界最高峰のオーケストラと言われているのかもよく分かりました。それはベルリン・フィルが世界でも数少ない団員主導の自主運営であることに尽きると思うんですね。団員で好きな指揮者、曲目を自由に選んで演奏するという自主自立の精神が生きているから、ベルリン・フィル独自の音が出せるんです。
    実際、指揮をしている間、まるで音が自分に突進してくるような感覚を受けました。これはほかのオーケストラでは経験したことのないものです。

    佐治 貴重な体験でしたね。

    山田 ただ、その一方、すごく冷静な自分がいました。指揮を終えたら、感極まって泣くかもしれないと思っていたのですが、リハーサルも含めて、自分でも不思議なくらいに平常心だったんです。

    佐治 ああ、そうでしたか。

    山田 というのは、一所懸命に準備をして、情熱を持って指揮をして、お客様が喜んで拍手をしてくださる。その音楽を創り上げる過程と充実感は、ベルリン・フィルであっても、ほかのオーケストラであっても同じなんですね。
    ですから、どんなオーケストラであっても目の前の演奏会に全力を尽くし、お客様に喜んでいただく。そうしたらまた次の演奏会に全力を尽くしていく。1回1回の演奏に全力を尽くしていくその姿勢が、指揮者として何より大事であることを改めて学びました。

    指揮者

    山田和樹

    やまだ・かずき

    1979年神奈川県生まれ。東京藝術大学音楽学部指揮科で、松尾葉子氏、小林研一郎氏に師事。在学中に「TOMATOフィルハーモニー管弦楽団」(現・横浜シンフォニエッタ)を結成。2009年第51回ブザンソン国際指揮者コンクールで優勝。以後、2012年~2018年スイス・ロマンド管弦楽団の首席客演指揮者、2016/17シーズンからモンテカルロ・フィルハーモニー管弦楽団芸術監督兼音楽監督、2023年4月からバーミンガム市交響楽団首席指揮者兼アーティスティックアドバイザーを務め、2024年5月には同団音楽監督に就任。日本では、東京混声合唱団音楽監督兼理事長、横浜シンフォニエッタの音楽監督などを務める。2025年6月、日本人としては14年ぶりに、世界最高峰のオーケストラであるベルリン・フィルハーモニー管弦楽団を定期公演で指揮し、世界から絶賛される。

    20年以上の長い付き合い

    山田 先生とはだいぶ長いお付き合いになりますけれども、初めてお会いしたのは確か……。

    佐治 山田さんが東京藝術大学を出てから2、3年の頃だったと思います。

    山田 そう、2001年に卒業した2年後、2003年でした。

    佐治 私が30年音楽監督を務めている千葉県少年少女オーケストラの年1回の定期演奏会は、プロの指揮者にお願いすることになっているので、その指揮者を探していたところ、ある方から「若手でよい指揮者がいる」と紹介されたのが山田さんでした。

    山田 恥ずかしながら、当時私は千葉県少年少女オーケストラのことを知りませんでしたが、紹介者の方に素晴らしいオーケストラだから行ってみてと言われ、とにかく引き受けることにしたんです。
    行ってみたら、音楽監督の佐治先生に随分しかられ、鍛えていただきました。先生はもう忘れているかもしれませんが、練習をしていると、「この速度では子どもはついていけない」などと言われたりして、その度にいたたまれない気持ちになりました。

    佐治 そんなこと言ったかしら。

    山田 でもそうして率直に指摘してくださる方は、佐治先生しかいませんでした。先生の子どもたちに向き合う姿勢からもまた、多くを学んだことを覚えています。
    後から詳しくお話しされると思いますが、先生は音楽教師として40年、小中学校のリード合奏やオーケストラを指導され、退職後に音楽監督になった千葉県少年少女オーケストラも、素晴らしいオーケストラに育てられました。
    そんな先生の近くにいたら、子どもたちの力を引き出す指導の秘密が分かるかもしれないと思い、私なりにいろいろ探ったんです。

    佐治 練習以外でも、いろいろ話をしましたね。

    山田 それで分かったのは、子どもたちとの会話をすごく大事にしていることでした。とにかく音楽のこと、それ以外の話題も含めて、ずっと子どもたちに向かって何か話をしている。その間、子どもたちはじーっと先生の話を聴いているわけですが、それがそのまま聴く力、集中力、忍耐力、つまり音楽の基礎、皆で一つの音楽を創り上げる力につながっているんです。
    あと、先生は「これくらいでいいだろう」って、安易な妥協は絶対にしない。「少しでもいい音楽を」と、できるようになるまで何度でも徹底して練習する。私はいまでも「これくらいでいいだろう」と思ってしまうのですが、そんな時は佐治先生のことを思い出して頑張るようにしています。
    ですから、先生の教え子はたくさんいるけれども、私が一番の教え子だと思っているんです。

    佐治 私は山田さんと初めて会った時、育ちがよいというか、人間性が素晴らしいなと感じました。音楽教師を40年やっていましたから、人を見ればどういう人かすぐに分かってしまうんです。
    人間性は音楽家、指揮者にとってとても大事な要素で、やはり意地の悪い人にはよい音楽は創れませんし、オーケストラの団員もついていこうとは思わないでしょう? ですから、山田さんは絶対にこれから活躍していく人だなと当時から思っていました。
    今回のベルリン・フィルの演奏会も、きっと山田さんの人間性に世界トップの団員たちが魅せられて、盛り上がって、素晴らしい演奏になったのだと思います。

    千葉県少年少女オーケストラ音楽監督

    佐治薫子

    さじ・しげこ

    1935年千葉県生まれ。1956年千葉大学教育学部音楽科卒業後、音楽教師として君津市立松丘中学校に赴任。リード合奏の指導に情熱を傾け、同校を5回の全国優勝に導く。1966年船橋市立前原小学校へ転任、オーケストラの指導を行う。以後も習志野市立谷津小学校や市川市立鬼高小学校など、転任する先々で全国優勝を成し遂げ、「佐治マジック」「優勝請負人」などと高い評価を受ける。1996年教員を退職後、千葉県少年少女オーケストラの音楽監督に就任し、現在に至る。「音楽教育功労賞」(2008年)「地域文化功労者表彰」(2016年)など受賞・表彰多数。