2017年10月号
特集
自反尽己じはんじんこ
一人称
  • 早稲田大学名誉教授池田雅之

ローマ皇帝
マルクス・アウレリウス
の『自省録じせいろく』に学ぶ

ローマ皇帝マルクス・アウレリウスが書き遺した言葉を1冊にまとめた『自省録』は、現在に至る1000年以上にわたって読み続けられてきた不朽の古典である。ある時には自らを叱咤し、ある時には自らを省み、ある時には大宇宙と大自然の恵みに感謝する、珠玉の言葉に溢れた本書は、現代を生きる私たちの心にも深く響いてくる力を持っている。20年来、マルクス帝の言葉を心の糧としてこられた池田雅之氏に、その波瀾に満ちた生涯、そして『自省録』の言葉に学ぶべきことを語っていただいた。

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自分の人生に出会うためにマルクス帝の言葉を読む

私がローマの「五賢帝」最後の皇帝であり、哲学者でもあったマルクス・アウレリウス(121~180年)と出会ったのは、20年以上も前になります。当時の私は、精神科医としてハンセン病患者の救済に生涯を捧げ、哲学書などの翻訳も多く手掛けた神谷美恵子さんの著書を熱心に読んでいたのですが、その中に「自分はマルクス帝の言葉に救われ、励まされた」と書かれてあったのです。
 
それがきっかけとなり、私はマルクス帝とはどのような人物なのだろうと、彼が遺した言葉を1冊にまとめた『自省録』(神谷美恵子訳、岩波文庫)に親しむようになったのでした。そして、その数年後、渡りに船のように、出版社からマルクス帝の『自省録』を解説したマーク・フォステイター編著『自分の人生に出会うための言葉——ローマ皇帝マルクス・アウレリウスの人生訓——』を翻訳しないかというお話をいただいたのです。

『自省録』は、もともとマルクス帝がギリシア語で書いた『タ・エイス・へアウトン(自分自身に)』に由来します。しかし、この『自分自身に』の大部分は、彼が晩年の10年間に出版の当てなどなく書き記した断片的な日誌のようなものであって、彼自身により表題が付けられ、まとめられた書物ではありません。おそらくマルクス帝の死後、誰かの手により1冊にまとめられ、今日まで読み継がれてきたというのが実情でしょう。

ちなみに、大変な読書家、人望の厚い人格者として知られ、「戦う修道士」と称されるアメリカのマティス国防長官の座右の書も、『自省録』だと言われています。
 
私自身も、マルクス帝の言葉を翻訳していく過程で、彼の言葉の一語一語が自分の心の深いところに直に響いてくる、まるで自分の魂が育てられ、自由になっていくような不思議な感覚を何度も覚えました。以来、私は折に触れてマルクス帝の言葉を読み返し、心の糧としてきました。例えば、『自省録』にある次のような言葉は読む者の心を大いに励ます力を持っています。拙訳でご紹介します。
未来というものは、来たるべきときに訪れてくるものだから、未来を憂うのは、止めなさい。いま現在に真向かっているのと同じ気持ちで、未来に対処すればよいのだ。

人格を完成させるには、一日一日をあたかもその日が最期の日であるかのように、激しく感情を高ぶらせることなく、かといって無感情でもなく、誠実に過ごすことである。
当時のローマには、キリスト教などの宗教の影響がそれほど及んでいなかったので、マルクス帝も「現世で善いことをすれば、来世で幸せになれる」といったことは説いていません。彼がひたすら書き綴ったのは、絶えず自らを省み、与えられた義務に己を尽くし、徳高く生きること。そして、過去や未来のことにくよくよせず、いまを一所懸命生きろという自分自身への戒め、叱咤の言葉でした。
 
そのようなマルクス帝の言葉の数々は、現代の家庭や職場、親類や友人関係においても、十分当てはめることができる普遍的魅力を備えています。本欄では、マルクス帝の生涯を辿りつつ、『自省録』に遺された彼の言葉を紐解くことで、いまをよりよく生きるヒントを探っていきたいと思います。

早稲田大学名誉教授

池田雅之

いけだ・まさゆき

三重県生まれ。早稲田大学名誉教授。専門は比較文学、比較文化論。著書に「100分de名著 小泉八雲日本の面影」(NHK出版)「イギリス人の日本観」(成文堂)、訳書に今回取り上げる「自分の人生に出会うための言葉―ロ-マ皇帝マルクス・アウレリウスの人生訓」(草思社)など多数。