2016年6月号
特集
関を越える
一人称3
  • 京都大学大学院教授、臨床心理学士皆藤 章

出会いを生かし、
ともに関を越える

複雑かつ不可解な人間心理と向き合い、病める人の心身回復を目指す臨床心理士。時に死の危機に直面するほどの関を超えながら多くの人々と向き合い続ける皆藤 章氏に、臨床に懸ける思いや人との出会いについての信条を語っていただいた。

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一つひとつの出会いに責任を持つこと

私は臨床心理士として、日々数多くの生きる苦しみを抱えた人に出会っています。まさに縁の中で生きていると言えるでしょう。そうした方々と出会う度、この出会いをどう生かしていくのか、という問いをいただいています。

* * *

「これから母を殺しに行きます」

ある方は面談中、私にそう言うと、鞄から包丁を出して立ち上がりました。

その人は幼い頃、母親が目を離した隙に車に轢かれ、身体に重い障碍が残ってしまいました。面談ではしばしば、母親への鬱積した憎しみを繰り返すのでした。

包丁を持って立ち上がったその方に、「よろしいですね」と言われた時、私は何も答えることができませんでした。ここは身体を張って止めるべきところではあるけれども、この人の気持ちも痛いほど分かる。果たして私は、自分の心に一点の曇りもなく「やめてください」と言えるだろうか……。

気がつけば、私の頬に幾筋もの涙がしたたり落ちていました。患者さんはそんな私の姿をじっと見つめ、おもむろに「すみませんでした」と頭を下げると、包丁をしまって椅子に座り直しました。

* * *

「先生、私に生きていける言葉をください」

遠い南米のある地から手紙が届きました。途方もない人生の傷みを抱えながら面談に通ってこられていた方からでした。制止を振り切り、ある日その方は死出の旅とも言える決断をしたのです。

自尊心を剥奪される過酷な生活が綴られた手紙の、最後にこの言葉が記されていました。

ゆっくり返事を考えている場合ではない。しかし、その方の心に届く言葉が不可欠だ。夜通し考えました。夜が明けた時、私に語れる言葉はこれだけでした。

「黙々黙々。ただただ黙々と生きてください。待っています」

およそ半年後、その方は無事に帰国されました。

「先生の言葉を毎日、念仏のように唱えて生きていました」

いまでも、私の返事がその方の心に届かなかったら、と思うと、身震いがします。

* * *

幸いにしてお二人とも心の葛藤を乗り越え、自らの人生を歩む道をともにしてくださいました。

お二人の他にも私はこれまで様々な方々に出会い、臨床心理士としていくつもの関を越えてきました。その体験を通じて学んだことは、死は決して私たちと無縁ではないこと、生と死のギリギリの境目で生きる人たちがいるという現実でした。

面談をさせていただく方の中には、治らない病を抱えて生きる方もいらっしゃいます。当初は、面談をすることはその方に残された貴重な時間を奪うことになっているのではないか、と悩んだこともありました。周囲の誰に相談しても納得のいく答えを得られず窮した私は、医療人類学で有名なハーバード大学のアーサー・クラインマン先生の元を訪ねました。

面識のない突然の私の来訪に、かつてご自身も同じ悩みを抱いていたというクラインマン先生は次のように説いてくださいました。人は必ず死ぬものであり、我われもそれを止めることはできない。しかし、死に逝くプロセスをともに生きることはできる、と。

以来私は、一つの出会いによって生じる責任というものを一層自覚するようになるとともに、その責任を全うしようと努力していくところに、必ず何かが生まれることを信じて生きる苦しみを抱えた方々と向き合っています。

京都大学大学院教授、臨床心理学士

皆藤 章

かいとう・あきら

昭和32年福井県生まれ。52年京都大学工学部入学。京都大学教育学部転学部。61年京都大学大学院教育学研究科博士後期課程研究指導認定。大阪市立大学助教授、京都大学助教授などを経て、平成19年より京都大学大学院教育学研究科教授。文学博士。臨床心理士。