2019年11月号
特集
語らざれば愁なきに似たり
対談
  • (左)日本こども支援協会、代表理事岩朝しのぶ
  • (右)生と死を考える会、全国協議会会長髙木慶子

内なる悲しみと向き合う

人間は誰しも他人からは窺い知れない悲しみを抱えて生きている。そう語る髙木慶子さんは、死にゆく人々をサポートするターミナルケアや、愛する人と死別した人々を支えるグリーフケアに長年取り組んできた。一方の岩朝しのぶさんは、いまや要保護児童が全国で4万5,000人に上る児童虐待の現状を憂えて、家庭環境に恵まれない子供たちの支援に奔走している。それぞれの立場で人間の悲しみと向き合ってきたお二人に、思うにまかせない人生の中から光を見出す道について語り合っていただいた。

この記事は約26分でお読みいただけます

悲嘆を抱える人に寄り添う

岩朝 シスターは災害や犯罪の被害に遭われた方々にお会いになって、悲しみから立ち直るための支援をなさっているそうですね。

髙木 12年前に上智大学のグリーフケア研究所を立ち上げて、肉親や大切な人を亡くした方々をサポートするグリーフ(悲嘆)ケアに取り組んでいます。
お一人おひとりのお話に耳を傾けていると、皆さん本当に想像を絶するような悲しみを抱えていらっしゃいます。そういう深い悲しみというのは個人で乗り越えるにはあまりにつらいし、悲嘆を消化し切れずに心身のバランスを崩してしまう方も少なくありません。ですからそういう方々に寄り添い、その悲しみをやすための協力者、第三者が必要なんです。
実は、私自身も阪神・淡路大震災の時に被災しました。神戸の修道院で寝ていたら、ベッドから床に叩きつけられましてね。直後にそのベッドの上に大きな戸棚が倒れてのしかかるのを見た時は、背筋が凍る思いがしました。それから、3年前の熊本地震では自分の生まれ育った実家が全壊したんです。もうまったく想像していなかったことで、本当にショックでした。
これまでずっと他人様のお話を伺ってきて、グリーフケアのことを分かったような気でいましたけど、やっぱり想像の中で思っているのと、自分自身が実際に体験するのとでは全く違うんですね。

岩朝 そのお気持ち、本当によく分かります。私は仙台の出身で、東日本大震災の時に故郷の風景をなくしていますので。あの時は現実が受け入れられないというか、ただただショックで涙も出ない。
あんな体験は人生で初めてでした。

髙木 そうでしたか。では、ご実家は津波で……。

岩朝 津波は手前で止まったんですけど、住めないくらいに傾いてしまいました。
とにかくあの年は激動の1年でした。1月に父を病気で亡くしまして、お悔やみを言ってくれた同級生が3月には震災で亡くなったんです。誰もが普段、死ぬことなんか考えもせずに生きているのを痛感しましたね。その時にせっかく助かった友人も去年自殺してしまって、余計にその思いを強くしています。東日本大震災で被災された方の中には、この時期に自殺される方が多いんです。

髙木 そうなんですよね。

岩朝 震災直後はとにかく生きることに必死で悲しむ余裕もなかったのが、時間が経ってふとひと息ついた時に、急に喪失感が込み上げてきたり、何のために生きているんだろうという葛藤かっとうが生じたりするんです。

髙木 私は阪神・淡路大震災の3日後から避難所を回って600人くらいの方々のケアをさせていただいたんですけど、私が修道女であることが分かると皆さん安心されて、毎日押すな押すなというくらい話をしに集まってこられるんです。その時はどなたも悲しむというよりハイな状態になっていて、父が亡くなりましたとか、子供が亡くなりましたとか、そこまで話しちゃダメよっていうようなことまでペラペラお話しになる。聞いている私のほうがドキドキするくらい。

岩朝 確かに私たちもそうでした。

髙木 その後、神戸連続児童殺傷事件や附属池田小事件、JR福知山線脱線事故のご遺族の方々のグリーフケアに携わって、天災と人災の違いというものを体感させていただきました。それがあるからいま、東日本大震災で原発の被害に遭った南相馬、飯舘いいたて村の方々のケアにも伺えるんです。
人災に遭われたご遺族の方々の怒りというのは大変なものです。
天災の場合はどこかに着地点があるんですよ。でも人災の場合は怒りの対象がいるから、なかなか葛藤から抜け出せない。グリーフケアがより重要になってくるんです。

岩朝 お話を伺って、きょうシスターとの対談に導かれたわけが分かった気がします。私はいま、日本こども支援協会を通じて子供を虐待から救う活動に取り組んでいます。子供が病気で亡くなるのが天災だとすれば、虐待で亡くなるのは人災なんですね。本当はどうにかして救える命だと思うから人災は許せないんですけど、シスターのお話を伺ってすごくに落ちました。

生と死を考える会、全国協議会会長

髙木慶子

たかき・よしこ

熊本県生まれ。聖心女子大学文学部心理学科卒業。上智大学神学部修士課程修了。博士(宗教文化)。終末期にある人々のスピリチュアルケア、及び悲嘆にある人々のグリーフケアに取り組む。現在、上智大学グリーフケア研究所特任所長、生と死を考える会全国協議会会長、日本スピリチュアルケア学会理事長などを務める。著書に『それでもひとは生かされている』(PHP研究所)『「ありがとう」といって死のう』(幻冬舎)など。

神様に喜ばれる自分でありたい

岩朝 人の悲しみに向き合うのはとても大変なことだと思いますけど、シスターがそういうご活動に取り組まれるのはなぜですか。

髙木 私の曽祖父は江戸末期から明治時代にかけて長崎の浦上うらかみで伝道活動をしていた高木仙右衛門せんえもんというんですけど、その人の血が自分の中に流れていることが大きいと思います。それがどんな血かって言ったら、厳しい弾圧にも屈することなく信仰を貫いた殉教の血。自分がどうしたいというより、神様が喜んでくださる自分でありたいというのが私の一番の望みなんです。それがいまの活動に結びついているんでしょうね。
他人様からはよく、「髙木さんはどうしてそんなに明るくて元気なんですか?」って言われるんですけど、自分でそうしようという意識はないんです。私の心にあるのはただ神様。神様に喜ばれる感情でありたいというだけなんです。
ちょっと神がかってますね(笑)。

岩朝 いえ、そんなことはありません。

髙木 私は34年前に「生と死を考える会」を立ち上げて、いまは全国協議会の会長をしていますし、14年前にスピリチュアルケア学会、12年前には先ほど申し上げたように上智大学のグリーフケア研究所を立ち上げて、自分でも不思議なくらいにいろんな会をつくってきました。そうしてお話を伺う方に、こうしていきましょうね、ああしていきましょうねっていろんな決断を促してきたんですけど、どうか神様のお望みに沿うようにお導きください、という祈りを根底に持ち続けてきました。
ただ、そうは言っても人間誰しもイラつく時ってあるでしょう。
その時グッと我慢する。それは大変なエネルギーですよ。でも、こんなすさんだ思いを抱いてごめんなさいとパッと神に向かう。それが現代における殉教だと思うんです。

岩朝 その心の整え方は素晴らしいですね。

髙木 こんなお話をすると、「髙木先生もイラつくんですか?」って驚かれるんですけど、私も人間よ(笑)。いつもニコニコしているものだから、周りの人にはきっと苦しみがないように見えるんでしょうね。
でも、人間誰しも心の内に悲しみ、苦しみを抱えているものなんですよ。それをカムフラージュしながら生きているだけでね。
それを遠慮しないで出せるのが家庭なんです。そういう場を持っていない方は、イライラが高じて暴力に発展したり、とんでもないことになります。だから幼い時に遠慮しないで自分のわがままを出せる家庭というのは、とっても大事な場なんですね。

日本こども支援協会、代表理事

岩朝しのぶ

いわさ・しのぶ

宮城県生まれ。企業経営を経て、平成22年日本こども支援協会設立。自身も里親として女児を養育する傍ら、児童養育施設や里親の支援をしながら社会養護の現状や里親制度の啓発に取り組む。その他、虐待防止活動、母子家庭支援、父子家庭支援、育児相談、震災孤児・遺児支援活動にも尽力している。