2020年4月号
特集
命ある限り歩き続ける
対談
  • (左)美容家小林照子
  • (右)ITエバンジェリスト若宮正子

年を重ねるごとに
輝きを増す生き方

人生百年時代を考える

60年以上美容家として活躍し続ける小林照子さん。コーセー初の女性取締役を経て独立し、現在はAIを活用した印象分析や後進の育成に力を入れ、生涯現役を宣言している。片や定年退職後に始めたパソコンによって、AppleのCEOからも注目を集めるようになった若宮正子さん。「60歳から人生が楽しくなり、80歳からはもっと楽しくなった」と語る。共に昭和10年生まれ同士が語り合う、人生百年時代を生き抜くヒント——。

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共に昭和10年の東京に生まれて

小林 初めまして。若宮さんも同じ昭和10(1935)年、東京に生まれたというので、きょうはとても楽しみにしていました。

若宮 私は4月生まれで、2月生まれの小林さんと2か月しか違いませんが、1年後輩なんですよね。でも、共に「国民学校」に入学して、10歳の時に終戦を迎えているから卒業した時は「小学校」と名前が変わっていた世代です。

小林 そうそう。1946年に学制改革が行われて、私は新制中学校の第1期生でした。

若宮 私は2期生でしたけど、あの頃は何もかもがまだ整っていなくて、中学時代はみかん箱を机代わりに使用していました。

小林 教科書を墨で塗りましたよね。私は縁故疎開で山形にいたんですけど、いまだに杉の葉が落ちていると拾いたくなるんです。杉の葉は着火しやすいので、ご飯を炊くのには絶対杉の葉がいいといわれていました。

若宮 そうです、そうです。私も食べ物を見ると、何を放棄しても食事を優先してしまう(笑)。

小林 そんな時代を共に生きてきた仲間が、いまも元気で活躍されているのは嬉しいです。
私は「徹子の部屋」(テレビ朝日)という黒柳徹子さんの番組に3回出させていただいているんですけど、その番組のディレクターさんが「82歳でアプリを開発したすごい方がいる」と若宮さんのことを教えてくださり、それから若宮さんの記事などを読んでいたところでした。

若宮 そうでしたか、ありがとうございます。「徹子の部屋」は2019年11月に出演しましたが、とても反響が大きいのでびっくりしました。放送の翌日、いつものように買い物をしていると、知らない方から「あなた、昨日テレビに出ていたでしょう」なんて声を掛けられたり(笑)。

小林 黒柳徹子さんは私たちより2つ年上で、生涯現役を宣言されていらっしゃいますよね。私も23歳で小林コーセー(現・コーセー)に入社し、56歳で美・ファイン研究所という美容関係の会社を立ち上げて、いまも現役。
その他、メイクアップアーティストを育てる「フロムハンドメイクアップアカデミー」と美容に特化した通信制高校「青山ビューティ学院高等部東京校・京都校」の運営会社「フロムハンド」、それから私がつくった奨学金制度などを管理する小林照子株式会社を経営しており、これから先もずっと仕事を続けたいと考えています。
どの会社も次の世代に渡すべく努力をしていると思いますが、かえって私への仕事が舞い込んでくる。私は忙しいという運命なのだと思います。

若宮 よく分かります。私は逆に高校卒業後、三菱銀行(現・三菱UFJ銀行)に入行し、60歳の定年まで勤め上げました。退職後に趣味として気ままにパソコンをやっていたら、なぜだか世界中から注目を浴びるようになったというのが正直な感想です。
「84歳のプログラマー」だなんて肩書で紹介されることがあるんですけど、私自身はあまり自分が何歳だとかは意識していません。きょうやらなければいけないことと、明日やりたいことで頭がいっぱい。たまに洋服を買いに行った時にお店の方が勧めてくれた洋服を、「これはちょっと年寄りくさい」なんて言って驚かれる。その時初めて、「あ、私は84歳だった」と思い出すんです(笑)。

ITエバンジェリスト

若宮正子

わかみや・まさこ

昭和10年東京生まれ。高校卒業後、三菱銀行(現・三菱UFJ銀行)に入行。平成7年定年目前にパソコンを購入。平成18年「エクセルアート」を発案。29年iPhoneアプリを開発。シニア向けサイト「メロウ倶楽部」副会長。NPO法人ブロードバンドスクール協会理事。著書に『60歳を過ぎると、人生はどんどんおもしろくなります。』(新潮社)『独学のススメ』(中央公論新社)『老いてこそデジタルを。』(1万年堂出版)など多数。

「無難」ではない人生の過ごし方

若宮 洋服といえば、2018年の秋の園遊会に呼ばれた時のことです。天皇皇后両陛下(現・上皇上皇后両陛下)にお会いするというので、どんな服装をしたらいいのか分からず、友人に相談しました。そうしたら、貸衣装屋と美容院に行って目的と予算を伝えたら、無難なお着物を貸してくれ、無難なヘアセットとメイクをしてくれると。でも私、「無難」という言葉があまり好きではありません。

小林 それは私も同感です。無難な選択をしている人で輝いている人は少ないですよ。

若宮 それで、後で詳しくご説明しますけど、私が生み出したエクセルアートという方法でデザインした柄を布地に印刷して、裁縫が得意な友人に洋服を仕立ててもらったんです。それから、電子工作が得意な友人たちが私のデザインをアイロンビーズで制作し、その下に電子基板を埋め込んでLED電球がピカピカと光るようなハンドバッグをつくるのを手伝っていただきました。
まるで子供のおもちゃのようで、「そんな格好で園遊会に行く人はいない」と反対する友人もいましたが、せっかくつくってもらったのだから天皇皇后両陛下に見ていただきたい。そう考え、思い切ってその洋服を着てピカピカ光るハンドバッグを持って園遊会に参加したところ、皇后陛下がハンドバッグをご覧になられて、「あら、これ光りますのね」と非常にお喜びくださいました。

園遊会でのコーディネート。若宮さんがデザインした文様を着物風に仕立てた洋服と光るハンドバッグ

小林 それは嬉しいですね。

若宮 皆と違う服装をすると目立つかもしれないと躊躇ちゅうちょする方がいるかもしれませんが、よく考えると誰も止めていなくて、自分で勝手に壁をつくってしまっている。
小林 おっしゃる通りです。私がきょう着ている服は、日本の伝統的な染め方や織り方を生かした洋服をつくっている「matohuまとふ」というブランドのものです。デザイナーが、「もし着物が今日まで日常的に着続けられていたら、こんなデザインになっていたのでは」と想像して出来上がったものです。
私はこのデザイナーの考えに共鳴してこの服を身に着けていますが、服を着るというのはデザイナーの哲学をいただくことだと感じています。服を選ぶ時には、志のある人を応援したい気持ちもあります。洋服を身に着けることで、自分が媒体となり一所懸命つくってくれた人たちの思いや才能を発信している。先ほどの若宮さんの園遊会でのお話に共通する部分がありますよね。

美容家

小林照子

こばやし・てるこ

昭和10年東京生まれ。33年小林コーセー(現・コーセー)に入社。美容液、パウダーファンデーションを世界で初めて生み出し、大ヒットさせる。60年コーセー初の女性取締役に就任。平成3年56歳で独立し、美・ファイン研究所を設立。6年にフロムハンドメイクアップアカデミーを、22年に青山ビューティ学院高等部を開校。著書に『これはしない、あれはする』(サンマーク出版)『人生は、「手」で変わる。』(朝日新聞出版)『いくつになっても「転がる石」で』(講談社)など多数。