2019年12月号
特集
精進する
対談
  • (右)志ネットワーク「青年塾」代表上甲 晃
  • (左)「中塾」代表中 博

松下幸之助に学んだ仕事観

勤勉努力の習性こそ日本の宝

創業した松下電器産業(現・パナソニック)を一代で世界的企業にまで育て上げた松下幸之助。その苦難多き94年の生涯はまさに精進の歩みそのものであったといえよう。共に松下幸之助の謦咳に接し、その教えの伝道に力を尽くしているのが志ネットワーク「青年塾」代表の上甲 晃氏と「中塾」代表の中 博氏である。二人が縦横に語り合う、松下幸之助に学んだ人生・経営発展の要諦、いまこそ取り戻したい日本人の仕事観。

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廊下を挟んで共に働いた仲

上甲 中さんとは、松下電器の本社ではお互いの部署が廊下を挟んで向かい合っていたので、しょっちゅう行き来して一緒に仕事していましたよね。

 上甲さんが広報本部、私は本社企画室で、廊下を挟んだご近所さんだった。上甲さんには先輩後輩の関係を抜きに、いろんなことを教えていただき、時に背中を押され、本当に頼れる存在でした。

上甲 あの頃の松下電器では、立場は平社員でも皆、「意識だけは社長のつもりで仕事をしろ」と教えられていたように思うんです。だから、社内で会えばたちまち経営談議になるわけですよ。そしてお互い納得できなければ取っ組み合いの喧嘩けんかもした。
その中でも、中さんといえばあの出来事のことがいまでも忘れられないんです。当時、松下電器の製品は家庭の主婦層には人気があったけれど、若い世代では他社製品に負けていたと。その事実はある程度、社内で暗黙の了解になっていたんですが、それを裏づけるデータを本社企画室の中さんが調べて私に見せてくれたので、社内報で公表したわけです。〝意識は社長〟のつもりで仕事をしていますから当然と思ったのですが、社内はもう大騒動になった。

  そうでしたね(笑)。企画室でテレビやラジオを担当していた時に、「この製品は他社に負けてるんじゃないですか。もう一回市場を分析しませんか」と上司に提案したら、「中君、それやってよ」って言うわけ。そこで徹底的に調べてみたら、案の定、実績はひどい状態だったんです。でも、そのデータをいくら見せても、営業本部はまともに相手にしてくれない。
それじゃあ、これは上甲さんに言うしかないと思って、データを見せたんです。ただ、上甲さんがそれをそのまま社内報に載せたのには、正直びっくりしました。

上甲 その後、松下幸之助も社内報で他社製品に負けている事実を初めて知って、「これほんまか?」と。それで結局、「ヤングナショナル路線」という営業政策が打ち出されることになったんでしたね。

 普通の経営者だったら、不都合な事実を示されて「ふざけるな!」となっていたかもしれませんけど、松下幸之助は本当のことを言われたら怒らない、「よしそれや」と言ってすぐ行動する。そこは本当にすごいと思いました。
ただその出来事以来、上甲さんと私の二人は、要注意人物として常に社内でウォッチングされるようになった気がしました(笑)。

志ネットワーク「青年塾」代表

上甲 晃

じょうこう・あきら

昭和16年大阪府生まれ。40年京都大学卒業と同時に、松下電器産業(現・パナソニック)入社。広報、電子レンジ販売などを担当し、56年松下政経塾に出向。理事・塾頭、常務理事・副塾長を歴任。平成8年松下電器産業を退職、志ネットワーク社を設立。翌年、青年塾を創設。著書に『志のみ持参』『志を教える』『志を継ぐ』など、近著に『松下幸之助に学んだ人生で大事なこと』(いずれも致知出版社)。

人使いのコツは社員稼業にあり

 あと、あの頃の松下電器は本当に人を大胆に使っていましたよね。私も新入社員の頃から、企画室の調査費ということで、1,000万円くらい自由に使わせてもらいました。要するに、上司の命令通り仕事をする人より、自分で発想して動く人のほうが評価された。

上甲 そう、経営理念さえ徹底して守れば、後は自主独立経営責任でね。中さんであれば松下電器の中で「中商店」を開業しているんだ、自分は一独立経営者、社長のつもりで仕事せいと。これを松下幸之助は「社員稼業」と言ったわけです。松下電器が、各事業部がまるで一つの独立企業のように経営する事業部制を採用していたのも、まさにその典型ですよ。
人間は命令されてやらされる仕事は疲れますが、自分でやりたいと思った仕事は疲れません。仮に、富士山に登れと命令されたら、こんなに苦しいことはない。しかし自分で登りたいと思えば歯を食いしばってでも登る。その違いです。
だから、松下電器で働いている間、私は上司の命令で仕事をした記憶はあまりないですし、世界各地も出張で随分飛び回りましたけど、大半自分で上司を説得して行きました。また、常に自分は独立経営者だという意識で働いていますから、通勤途中に何かアイデアを思いつけば、早く会社に行こうと走り出すわけですよ。特に若い頃は、会社にスキップして行ったこともありましたね。

 ああ、スキップで会社に(笑)。ただ、私たちがいくら自由に働いても社内がバラバラ、勝手主義にならなかったのは、上甲さんもおっしゃったように、松下電器が経営理念を徹底的に大事にしたからですよね。経営理念を守れば、それをどう実践するかは君たち次第だと。経営理念という目指すべき最終的なゴールがあらかじめ決まっているから、社員が好きなように働いても最後は必ず松下電器の成果となって返ってきたわけです。

「中塾」代表

中 博

なか・ひろし

昭和20年大阪府生まれ。44年京都大学経済学部卒業後、松下電器産業(現・パナソニック)入社。本社企画室、関西経済連合会へ主任研究員として出向。その後、ビジネス情報誌「THE 21」創刊編集長を経て独立。廣済堂出版代表取締役などを歴任。その間、経営者塾「中塾」設立。著書に『雨が降れば傘をさす』(アチーブメント出版)がある。