2025年5月号
特集
磨すれども磷がず
インタビュー①
  • カマチグループ創設者・CEO蒲池眞澄

手には技術、
頭には知識、
患者さまには愛を

九州・関東圏に26病院5551床、6つの看護・リハビリ専門学校(うち1大学)を運営するカマチグループ。山口県下関市の19床の診療所からスタートし、一代で日本屈指の医療法人へと発展させたのが蒲池眞澄氏、84歳。豪胆無比な人格と経営手腕で〝怪物〟との異名を取る氏の独立独歩の経営人生から、組織を繁栄に導く要諦を探る。

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取材は2月26日(水)、福岡和白わじろ病院(福岡県福岡市)にて行われた。福岡和白病院は1987年の開院以来、カマチグループの拠点として24時間365日、断らない医療を実践している。

大和民族のための医療に邁進して50年

──蒲池さんがCEOを務めるカマチグループは、2024年に創設50周年の節目を迎えました。いまどのようなご心境ですか?

我ながらよくやったと思っています。19床の病院から始まり、いまでは九州・関東圏に26病院、6つの看護・リハビリ専門学校(うち1大学)を運営し、総勢15,000人のスタッフをようする医療グループに成長しました。
欠点だらけの僕がここまで続けてこられたのは、素晴らしい人たちと出逢い、助けられてきた恩恵に他なりません。その感謝を胸に初志貫徹してきたことが、今日の発展につながったんじゃないかな。
僕はこれまで84年生きてきて、僕の生きる力が足りんと思ったことは一度もない。いまも毎日グループの全病院から上がってくる患者さんの記録を必ずチェックし、細かいところまで指導しています。また、毎月2回は関東に出張してグループ病院を回ったり、取引先の方と会ったり。問題はどこでもいつでも起こる。その都度解決しなければいけないからね。

──とても84歳とは思えないバイタリティーに圧倒されます。カマチグループが多くの人々に支持される理由をお教えください。

開業時から一貫してきたのは、「患者さんのための医療」を提供することです。ほとんどの医者は患者さんの痛みの原因を突き止めることが治療の第一義だと考えている。一見正しそうに聞こえるでしょう? でも逆の言い方をすれば、原因が分かるまで患者さんは苦しみから解放されない。それって本末転倒でしょう。
患者さんが「痛い」と言えば、鎮痛剤を使ってすぐに痛みを取ってあげる。「死にたくない」と言われたら、命が長らえるように手を尽くし切る。これが医療の本来あるべき姿だと思うんだよ。

──患者さんの要望にしんに応じることが病院の役目であると。

そう。だから当グループでは、24時間365日救急車を受け入れる。2008年には九州の民間で初となる医療用ヘリコプター「ホワイトバード」を導入するなど最先端の医療機器を備え、重篤な患者さんにも最善の対応ができる体制を整えています。
また、患者さんの生きる希望を見出し、人間としての尊厳を回復することが大切だと考え、回復期リハビリテーションに力を注いできました。グループ全体で3,500床を超える回復期病床数を有し、長年蓄積してきたノウハウを活かして患者さん一人ひとりに適したプログラムとサポートを施すことで、グループ病院の平均在宅復帰率は89%と、全国平均の78%を大きく上回っている。
救急医療により命を助け、リハビリテーションを行い、できるだけ早く元気になって自宅や職場に復帰していただく。それが医療費の軽減や労働力の向上に繋がり、日本を元気にしていく。地域医療に留まらず、大和民族のための医療を行うことが当グループの役割であり、多くの人々から支持されている理由だと思っています。

カマチグループ創設者・CEO

蒲池眞澄

かまち・ますみ

昭和15年福岡県生まれ。40年九州大学医学部卒業。虎の門病院、九州大学大学院医学研究科、下関市立中央病院、福岡大学医学部などの勤務を経て、49年山口県下関市でカマチグループの礎となる「下関カマチ医院」を開院。現在は、九州・関東圏に26か所の病院、6か所の看護・リハビリ専門学校(うち一大学)を運営する。社会医療法人財団池友会理事、一般社団法人巨樹の会会長、医療法人社団緑野会理事、学校法人巨樹の会理事長を務める。