2021年10月号
特集
天に星 地に花 人に愛
インタビュー①
  • 写真家白川義員

大自然の〝原風景〟が
教えてくれたもの

世界各地を飛び回り、大自然が一瞬のうちに見せる〝原初の風景〟を命懸けで撮影し続けてきた写真家の白川義員氏、86歳。2021年春には集大成となる写真展「永遠の日本」と「天地創造」が開催され、大きな話題を呼んだ。〝地球再発見による人間性回復へ〟をテーマに掲げ、写真を通じて人間のあるべき姿を追求してきた白川氏に、その人生の歩みを振り返りつつ、いま私たちが大自然の原風景から学ぶべきことをお話しいただいた。

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    やるべき仕事はすべてやってきた

    ——白川さんの写真展「永遠の日本」「天地創造」が2021年春に都内で開催され、大きな話題となりました。この写真展は50年以上にわたって、世界各地の荘厳そうごんな大自然の風景を撮影し続けてきた白川さんの集大成だと伺っています。

    1969年の写真集『アルプス』以来、『ヒマラヤ』『アメリカ大陸』『聖書の世界』『中国大陸』『神々の原風景』『仏教伝来』『南極大陸』『世界百名山』『世界百名瀑めいばく』の10のシリーズを出してきたのですが、11作目の『永遠の日本』、そして12作目の『天地創造』で最終作になるんです。
    だから、これからはちょっとのんびりしようかなと思っていたんですけれど、後から後からいろんな人が訪ねてくるので、本当にまいっているんですよ(笑)。
    しかし、まあ、忙しいから元気でいられるのかもしれないね。

    ——この「永遠の日本」「天地創造」というテーマには、どのような思いが込められているのですか。

    私はプロの写真家になった頃から、「自分が一生にやる仕事はこの12作だ」と決めていました。写真集でも何でも、事前に決めてから進めていく性格なんです。
    それで『永遠の日本』の撮影には2007年から5年かけて取り組みまして、空、陸、海から日本の風景を徹底的に撮りました。なぜ日本をテーマに選んだかといえば、まだ私の若い頃は、撮影でどこの国に行っても日本人と言うだけでひどい扱いを受けることがよくあったんです。そうした経験もあって、いつか「日本はちっぽけなくだらない国じゃない!」ということを世界にバーンと知らしめたいと、最初から計画していたんですよ。だから、作品集が一冊10万円もする巨大な本になったんです。
    また、撮影で何年も世界を旅して日本に戻ってきますと、親が子を殺す、子が親を殺すといった悲惨な事件が絶えず、衝撃を受けました。それは日本人がビルディングに囲まれ、自然から隔絶された生活をしているからではないかと思いましてね。どんなに日本社会が荒廃しようとも、日本の自然はどこまでも鮮烈で荘厳で永遠なのだという事実を、日本人だけでなく世界のあらゆる人々に見ていただきたい、日本は根源的に美しく崇高でうるわしいすごい国なのだと実感していただきたい。そして、日本人の誇りと魂を復興する一助になりたいという願いを込めて、『永遠の日本』を制作したんです。

    ——日本の美しさ、素晴らしさを日本、世界の人々に伝えたいと。

    それから『天地創造』についてですが、実は最初の『アルプス』からずっと撮影してきたものの中で、「天地創造」というテーマに相応ふさわしい写真は使わずにとっておいたんですね。それらの写真を全部集めて一冊にしたのが、12作目の『天地創造』なんです。
    だから、割といい写真がそろっているんじゃないかと思います。まあ、最後の仕事なんだから、いい写真が揃っているのは当然だと自分では言っていますけど(笑)。

    ——『天地創造』の写真は、具体的にはどのような基準で選ばれていたのですか。

    一つには、これまでにない色気というか色彩感覚、そういうものが出ている写真でいきたいということもあったんですが、そもそも私の写真家としての基本にあるのは、「人間が人間になったのはなぜか」という問題なんです。
    要は、人類の祖先である猿人がこの地球の大自然の姿、感動的な原風景を見て、畏敬いけいの念、宗教心を持った。そこから、人間は人間になったのだと私は考えているんですね。だから、写真を通して人間が人間になった原初の感動的な風景を人々に感動的に伝え、そのことを証明したいという思いでこれまで頑張ってきたんですよ。
    つたない仕事でしたけれど、もう一所懸命、まさに命懸けでやってきましたから……。最後の仕事である『天地創造』で伝えることはすべて伝えてきた、やることはすべてやり切ったと納得しています。

    写真家

    白川義員

    しらかわ・よしかず

    1935年愛媛県生まれ。1957年日本大学藝術学部写真学科卒業後、ニッポン放送に入社。フジテレビを経て、1962年写真家として独立。1969年写真集『アルプス』を出版して以来、『ヒマラヤ』『アメリカ大陸』『聖書の世界』『神々の原風景』『仏教伝来』『南極大陸』『永遠の日本』『天地創造』など12のシリーズを出版する。いずれも前人未到の仕事だが、特にシリーズ8作目の『南極大陸』では、世界初の南極大陸一周に成功。全米写真家協会最高写真家賞、菊池寛賞、日本芸術大賞など受賞多数。1999年紫綬褒章を受章。