2021年3月号
特集
名作に心を洗う
我が心の名作④
  • 西郷隆盛銅像展望ホールK10カフェ店長若松 宏

西郷隆盛
『西郷南洲翁遺訓』

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    人間・西郷隆盛の魅力を伝える

    私は西郷隆盛の妻・イトの実父である岩山八郎太はちろうた源直温の玄孫げんそんとして生まれました。意外に思われるかもしれませんが、西郷さんの直系子孫は、孫もひ孫も鹿児島生まれは一人もいません。西郷さんが西南戦争で亡くなった後、イトさんは鹿児島に残って西郷さんの墓守はかもりや戦死者の供養をしたり、一緒に戦って負傷した人たちの介護や親族の支援をしたりしていましたが、19年後に嫡男ちゃくなん寅太郎とらたろうさんの結婚式のために東京に出て、亡くなるまで一度も鹿児島に帰してもらえませんでした。いまも日本一高額な東京の青山墓地に無理やり眠っておられます。その背景には、西郷さんの家族を鹿児島に残さない、生まれさせないという明治政府の意向があったようです。

    ただ、岩山家はイトさんの実家だったため、親族は鹿児島に残りました。私も、15歳で少年自衛隊の学校に入るまで西郷さんの地元鹿児島で生まれ育ちました。自衛隊には38年間勤め、25年前に鹿児島の部隊に帰り、6年前に定年を迎えました。その後、唯一鹿児島に残る西郷さんにゆかりの深い親族としてその生き方と人を伝えたいとの想いが一段とき上がり、西郷さんが「江戸城下無血入城」した4月11日、西郷隆盛銅像を間近に展望できる場所にK10ケーテン(敬天)カフェを開きました。

    この場所で私は来訪された方たちに西郷さんの教えや人柄をお話しさせていただいています。いまの方たちは本やドラマなどで西郷さんがどういう人物だったのか知っているかもしれません。しかし戊辰ぼしん戦争や西南戦争の時、多くの人が西郷さんの歴史も人柄も知らずに、ただ目の前にいる西郷さんを見て、命まで預けているのです。西郷さんは、たくさんの人が「この人になら命を預けてもいい」と思うような大きな人物だったし、実際に数万人の方々がすべての夢も希望も託して命を懸けて身を預けました。私は、そのことをまず伝えたいと思っているのです。

    西郷隆盛銅像展望ホールK10カフェ店長

    若松 宏

    わかまつ・ひろし

    昭和35年鹿児島市呉服町生まれ。西郷隆盛の妻イトの実父岩山八郎太源直温の玄孫。幼少期より、祖父・父からの岩崎行親先生の敬天舎同人で、郷中教育の興国学舎舎生として、鹿児島三大行事や伝統行事に参画して深く関わる。父方の岩山家は、先祖に足利姓を持つ武士・軍人一族で、初代陸軍大将西郷隆盛の志を受け継ぎ、陸上自衛隊に38年間勤務。平成26年に定年退官。現在「西郷隆盛銅像展望ホール K10カフェ」経営者・店長として西郷隆盛の事績や思いを語り継ぐ取り組み、各種講演活動に力を尽くしている。