2024年2月号
特集
立志立国
対談4
  • 旭化成名誉フェロー吉野 彰
  • 日本電子会長栗原権右衛門

科学技術こそ
立国の礎なり

日本の経済成長を牽引してきた科学技術の停滞は著しく、この現状を悲観する識者も少なくない。しかし本当にそうだろうか。令和元年にリチウムイオン電池の研究と普及でノーベル化学賞に輝いた旭化成名誉フェロー・吉野 彰氏と、電子顕微鏡分野で世界シェア首位を誇る日本電子の会長・栗原権右衛門氏。両氏の熱論からは、立国の礎たる科学技術の活路、目指すべき立志のありようが見えてくる。

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日本の大学では真理の探究ができない?

吉野 どうも、ご無沙汰しています。

栗原 お元気そうで何よりです。吉野先生とは会社同士は長いお付き合いですけれど、お会いすることは最近までなかったですよね。
実は私、1971年に日本電子に入社してすぐ、NMR(核磁気共鳴装置)の営業を担当していました。あの頃、富士に御社の新しい研究所ができましたでしょう。東京の研究所から当社のNMRを運ぶというので立ち会ったんですよ。もう50年も昔のことです。

吉野 ああそうでしたか。私はずっと川崎の研究所にいたんですよ。

栗原 当時よく通いました。先生には私どものNMRを長くご活用いただいてきましたが、やっと名刺交換できたのはリチウムイオン電池の開発でノーベル化学賞に輝かれた後、確か4年前です。改まってお話しするのは初めてで、ちょっと緊張しています。

吉野 いやいや(笑)。

栗原 きょうは日本の科学技術立国の道筋というテーマをいただきましたが、早速ながら先生は研究者として、現状をどう見ていらっしゃいますか。

吉野 科学技術とひと口に言いましてもね、私はまず二つの観点で見る必要があるかと思いますね。一つは、日本の大学の研究力は学術界でどうなっているのか。もう一つは産業界で、科学技術研究の位置づけはどうかと。
日本の大学では、例えば研究論文数を見ると、注目度の高い論文が減り続けています。博士課程進学者数や研究開発費などいろいろな統計データに照らしても、如実に研究力が落ちている。客観的に見て間違いない事実です。
じゃあなぜこうなったのか。2000年あたりからの十数年を振り返ると、日本の科学者が隔年に近いペースでノーベル賞を受賞していましたよね。

栗原 導電性ポリマーを発見された白川英樹先生に始まり、よりりょう先生、鈴木章・根岸英一両先生……この時期は特に多いですね。ほとんど当社製品のユーザーです。

吉野 そういう皆さんが、受賞に結びつく研究を始めた時期はいつかとさかのぼると、およそ30年前だと思うんですよ、本当の始まりという意味では。すなわち1970年から1980年、あの頃は大学でも将来ノーベル賞を狙える先駆的な研究が確かにありました。
一つ明らかなのは、2004年の国立大学独立法人化を皮切りに、制度がいろいろ変わったことです。当然いい面もあるでしょうが、学術研究とはいえ世の中に役に立つようにせんといかんだろう、という風潮がワーッと出てきた。

上/科学分野ごとの論文数。注目度が高い(Top10%)論文の変化を見ると、化学・材料科学などの減少が著しい・下/日本人がノーベル賞を獲得するまでにはおおむね30年かかることが統計にも見て取れる〈いずれも文部科学省発表資料より〉

栗原 私どもも、お客様に大学が多いですからよく分かります。法人化で補正予算がガーンと少なくなって、日本の大学からの受注はめっきり減ってしまいました。

吉野 もちろん、世の中に役立つ研究をすることは、大学のミッションの一つですよ。だけど役に立つ、立たないは一切関係なしに、自然の摂理、真理を探究する。こういう基礎的な研究をすることもまた大学という機関の大切なミッションです。本来はその二つのミッションがあるはずなんです。
それなのに、実用的なテーマを設定しないと予算がおりにくくなっている。大学の先生方はその中間で迷われています。研究力が落ちるのは当然で、そうならざるを得ない背景があるわけです。

栗原 効率重視の弊害が出ていると。ですが先生、ノーベル賞を取った研究を見る限り、30年前の時点では世の中の役に立つなんて思えないものばかりですよね。

吉野 そういうものです、真理の探究というのは。博士課程を出た人が10年自分で研究を続けて、世界が認めてくれるのは30年後。そして似た研究をしている人が100人いれば、当たりくじを引くのは一人で、残りの99人は残念ながら世の中の役には立てないで終わる。これが実情です。でも、それで真理の探究を100%否定したら、肝心な1%の画期的研究まで切ることになる。その意味でいまは、一番悪いパターンでしょうね。

旭化成名誉フェロー

吉野 彰

よしの・あきら

昭和23年大阪府生まれ。47年京都大学工学研究科石油化学専攻修了後、旭化成工業(現・旭化成)に入社。60年リチウムイオン電池の基本概念を確立する。17年大阪大学大学院工学研究科にて博士号(工学)取得。29年から現職。令和元年リチウムイオン電池の開発でノーベル化学賞受賞。

マーケットの創出が産業界の目下の課題

栗原 果たして今後ノーベル賞を取れる日本人が出てくるか、心配ですね。70年代の迫力がない。

吉野 まあ、なくなってますね。

栗原 私どもは産業界で、先ほど挙げたような世界のトップサイエンティストに技術を提供してきました。最近は「ノーベル賞の陰の立役者」なんて言っていただいています。企業ですから利益を出さないといけない一方、科学の発展に貢献する責務があるわけですが、この両立もまた難しいんです。
というのも、理科学・分析機器のマーケットは大きくありません。昔はオランダのフィリップスや日本でも東芝さんといった大手が電子顕微鏡を手掛けていました。ところがいまは軒並み縮小か撤退です。装置の開発にはものすごい手間がかかる上に、買い手は限られていますから。
その点、当社は創業以来挑戦を続け、いま高レベルの電子顕微鏡を扱っているのは他に一社だけ、当社がおかげさまでトップシェアです。それから先生にお使いいただいているNMR、この分野の国内の研究者はほとんどがお客様です。それだけに、日本の現状には大きな責任を感じています。

吉野 先に学術界のあり方を申しましたけど、もう一つ考え直さないといけないのは、まさに産業界での研究の位置づけです。
私はね、産業界の研究力自体が落ちているとは思いません。ただ、世界全体の産業構造がここ数十年で相当変わってきています。
日本の産業界が世界を引っ張っていくための第一の必要条件は、高い技術力に基づくマーケットが日本にあるということですよ。昔で言えばソニーの音楽プレイヤーが世界の市場をせっけんしたようにね。あの頃は、内部で使われる電池や半導体といった川上の産業もものすごく活気を帯びていた。それが昨今のIT化の流れでアメリカのGAFAすなわちGoogleグーグルAppleアップルFacebookフェイスブック(現Metaメタ)・Amazonアマゾンが台頭して、マーケットが海外に移っちゃったわけです。

栗原 急激に力をつけましたよね。

吉野 ええ。市場が向こうにあるから、メーカーは10年後に向けて一体どんなものを開発するべきかつかみにくい。ここが産業界における研究開発の一番の悩みでしょう。

栗原 産業構造の変化についていけていないわけですね。
企業内での研究にも課題があります。数年前、ソニーの元社長のちゅうばちりょうさんに言われたことが思い浮かびます。日本の電機メーカーがことごとく元気を失った原因は研究開発であり、ここで「選択と集中」をしてしまったことだと。要は、研究者が2~3年で成果が見えるテーマばかり選択するようになった。これは研究開発というより改善提案ですよ。残念なことに一社一社が小さな課題に取り組んでも、大きな産業、マーケットの創出にはつながらないんですね。

日本電子会長

栗原権右衛門

くりはら・ごんえもん

昭和23年茨城県生まれ。46年明治大学商学部卒業後、日本電子入社。取締役メディカル営業本部長、常務取締役、専務取締役を経て平成19年副社長、20年社長。令和元年6月より会長兼最高経営責任者、4年6月より会長兼取締役会議長。