少年は小学6年生の時に結核を患った。一緒に暮らしていた叔父から伝染したのである。叔父は亡くなったが、少年は間もなく回復する。成績が良かったので、地元で最難関とされる旧制中学を受験したが、少年だけが不合格となった。口惜しさもあり、翌年再挑戦したが、またも不合格。やむなく私立中学に入学した。
終戦後の学制改革で旧制中学は新制高校となる。少年は大阪大学薬学部を受験したが失敗。やむなく地元の国立大学に入学した。勤勉に学び成績は良かったが、戦後不況の真っ只中で就職難。教授の推薦でなんとか京都の碍子メーカーに職を得た。ところが、希望に燃えて入った会社は赤字続き、給料は遅配、ストも多い。嫌気がさし退職を考えたが、その前に心のありようを変え、ともかくもこの仕事に懸命に取り組んでみようと決心し、そうした。すると、人生が次第に好転していったのである。
京セラの創業者・稲盛和夫氏の若かりし頃の話である。偉大な経営者の人生も、その前半は困難の連続だった、ということである。
その稲盛氏の語った言葉を集めた本が出版された。『運命をひらく生き方ノート』である。約30年稲盛氏に仕えた大田嘉仁氏が稲盛氏との会話を書き留めたノートが60冊あり、それを整理し刊行したのである。その中にこんな言葉がある。