2025年1月号
特集
万事修養

万事修養

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少年は小学6年生の時に結核をわずらった。一緒に暮らしていた叔父から伝染したのである。叔父は亡くなったが、少年は間もなく回復する。成績が良かったので、地元で最難関とされる旧制中学を受験したが、少年だけが不合格となった。口惜くやしさもあり、翌年再挑戦したが、またも不合格。やむなく私立中学に入学した。

終戦後の学制改革で旧制中学は新制高校となる。少年は大阪大学薬学部を受験したが失敗。やむなく地元の国立大学に入学した。勤勉に学び成績は良かったが、戦後不況のただなかで就職難。教授の推薦でなんとか京都のがいメーカーに職を得た。ところが、希望に燃えて入った会社は赤字続き、給料は遅配、ストも多い。嫌気がさし退職を考えたが、その前に心のありようを変え、ともかくもこの仕事に懸命に取り組んでみようと決心し、そうした。すると、人生が次第に好転していったのである。

京セラの創業者・稲盛和夫氏の若かりし頃の話である。偉大な経営者の人生も、その前半は困難の連続だった、ということである。

その稲盛氏の語った言葉を集めた本が出版された。『運命をひらく生き方ノート』である。約30年稲盛氏に仕えた大田よしひと氏が稲盛氏との会話を書き留めたノートが60冊あり、それを整理し刊行したのである。その中にこんな言葉がある。