2016年9月号
特集
恩を知り
恩に報いる
対談
  • 伊那食品工業社長井上 修
  • 志ネットワーク「青年塾」代表上甲 晃

いい会社をつくる原点

志の経営は知恩報恩から生まれる

いい会社とは、そこで働く社員がイキイキしていること―そう語るのは、伊那食品工業社長・井上 修氏、65歳だ。同社は国内トップシェアを誇る寒天メーカーであり、「いい会社をつくりましょう」という社是のもと、会社の永続と社員の幸せを目指し、数々のユニークな取り組みを行っている。48期連続増収増益、業界シェア90%、新卒採用応募者数3000名……。これらの結果を生み出した背景にあるものとは何か。井上氏と長年親交のある志ネットワーク「青年塾」代表・上甲 晃氏に聞いていただいた。

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己の損得を超えろ

上甲 経営の神様と謳われた松下幸之助には高橋荒太郎という大番頭がいました。表舞台には出ないけれども、内を固め、事を成していく。そういうナンバー2がいて初めて、トップは生きてくるんですね。
私自身は番頭ではありませんでしたが、松下政経塾の塾頭として、塾長である松下幸之助の思いをどうやって具現化していくかに腐心してきました。井上さんも塚越寛さんという偉大な経営者のもとで、その思いを汲んでやってこられたでしょうから、きょうはその苦労話や後継者としてのあり方をぜひお聴きしたいと思っています。

井上 弱りましたね(笑)。上甲さんとはもう20年以上のお付き合いですから、逃げるに逃げられません(笑)。

上甲 初めてお会いしたのは……。

井上 平成3年11月7日です。この日、我われの得意先の青葉化成さん主催のセミナーがありましてね。第一部の講師が上甲さんでした。当時、上甲さんは松下政経塾の塾頭をされていまして、松下政経塾というのは当然存じ上げていましたが、上甲晃というお名前は聞いたことがなかったんです。失礼ながら、第2部に予定されていた我われ海藻業界の第一人者の方のお話を聴くことが目的でした。
ところが、上甲さんの話にもう魅せられましてね。特に心に残ったのが「聞く力」の話です。話す力というのは、話し方教室がたくさんあるからいくらでも訓練できる。しかし、聞く力は自らの人格を高めないと鍛えられないんだと。
当時、私は東京営業所の所長をやっていて、業績はよかったんです。ただ、その割には所員が言うことを聞かんのですよ(笑)。腹の底から聞いてないなという思いがあった。だから、乾いた砂が水を吸収するように、上甲さんの言葉が私の心に入ってきたんです。
宴会の時に名刺交換をさせていただこうと思ったら、もうお帰りになってしまっていたので、松下政経塾の住所を調べて手紙を差し上げました。そうしたらお返事をいただいて、きょうコピーを持ってきましたけど、これは私の家宝になっています。

上甲 いやぁ懐かしい(笑)。実際手紙に書いているとおり、これほど嬉しいことはありませんでした。
というのも、講演をして「よかった」「感動した」と喜んでいただくことはありますが、ほとんどの方との縁がその場限りで終わってしまう。そういう虚しさがある半面、井上さんは名刺交換をしていないのに、わざわざ私の住所を調べてお手紙をくださった。その姿勢に心を打たれたんです。
当時私は、松下政経塾で政治家を育てる仕事をする一方で、志を持った政治家を支えていく有権者の組織をつくりたいという思いが漠然とありました。それで講演をする度に名刺交換した人に手紙を差し上げて、賛同者を募っていたんですけど、何名かの方から熱いお返事をいただきましてね。そういう方々にお集まりいただいて、平成4年2月に志ネットワークを立ち上げたんです。
その創業期のメンバーの1人が井上さんで、以来今日まで……。しかし、本当の意味でお付き合いが始まるのは、私が松下政経塾を辞めてからですよね。

井上 そうですね。

上甲 それまでは松下政経塾の仕事もしながら、志ネットワークの会合を重ねていたわけですが、平成8年に松下政経塾を離れ、その翌年「青年塾」を創設しました。
あの時、松下電器の相談役だった山下俊彦さんから本社に戻ってくるように言われたんです。ただ、私は松下電器に戻るという選択肢を捨てて、この運動に人生を懸けようと。54歳6か月の時に、そう決断しました。

井上 54歳6か月というのはとても微妙な時期で、当時の松下電器は55歳まで勤めていると、退職金を相当もらえたそうじゃないですか。しかし、お金の問題ではないということで、半年前にお辞めになった。私は上甲さんの姿にいたく感銘を受けました。

上甲 私は常々、松下政経塾の塾生に「己の損得を超えろ」と説いていましたし、自分の利益のために貴重な人生の時間を半年も無駄にすることはできなかったんです。

伊那食品工業社長

井上 修

いのうえ・おさむ

昭和26年長野県生まれ。50年法政大学卒業。54年父親が創業した伊那食品工業入社。営業畑一筋に歩み、東京営業所所長、常務取締役営業本部長などを経て、平成17年社長就任。19年に公益社団法人中小企業研究センター主催「グッドカンパニー大賞」グランプリを受賞し、20年には三重県主催「第6回日本環境経営大賞」環境経営パール大賞を受賞。

研究開発型企業を目指して

上甲 それにしても、伊那食品工業は寒天業界のトップメーカーとして揺るぎない地歩を築いておられますが、いまどんなことに力を注いでいらっしゃいますか。

井上 一つは家庭用商品の「かんてんぱぱ」シリーズを普及させていただこうと。スープやサラダ、雑炊、麺など、様々な寒天商品を展開しているのですが、これらは手軽に食物繊維が取れて健康に繋がるということで大変好評をいただいています。
もう一つは、寒天から生成されるアガロオリゴ糖には、体の動きを滑らかにする軟骨成分を守る働きがあるんです。そこで、アガロオリゴ糖を配合した錠剤を開発しました。これを飲み続けていると、知らず知らずのうちに膝の痛みが治る。現会長の塚越も人助けの商売だと言っていますけど、これはもう間違いなくお役に立てる商品だということで、無料サンプルを大々的に配らせていただいているんですよ。
また、医薬品分野での新たな用途開発にも力を入れていまして、代表的なのは、飲料ゼリーです。年配の方や嚥下が困難な方たちがお茶や味噌汁なんかを飲んだ時にむせないように、液体を固めて摂取するんですが、既存の商品は本来の味とは程遠くておいしくないと不評でした。そんな中、寒天は無味無臭で、相手の持ち味を阻害することなく、固めたり軟らかくしたり、状態を自在に変えることができると。その特質を生かしたんですね。

上甲 商品陣容を広げているのと同時に、社会貢献の度合いを深めていますね。まさに伊那食品工業は寒天メーカーのパイオニアだ。

井上 我が社は1958年に業務用寒天の製造元として、私の父・井上深見が設立しました。2,000万円ほどの借り入れがあった上に、寒天メーカーとしては後発だったため、最初は非常に苦労も多かったんです。毎月大きな赤字を出し、お金も技術も人材もない、ないない尽くしからのスタートでした。
しかし、創業から半年ほど経った時に、現会長の塚越が21歳で入社し、二人三脚でやってきたと。当時主流だった角寒天ではなく、粉末寒天という新たな分野に挑戦しようと方向転換を図り、64年に家庭用寒天「かんてんクック」及び粉末商品の製造を開始。そこから徐々に軌道に乗っていき、70年代には研究室を設け、寒天の原料である海藻や生産技術の本格的な研究に取り掛かりました。
その後も、常に全社員の1割以上が20年先を見据えて新素材の研究開発に当たっているんです。2008年には創業50周年を記念して新しい研究棟、R&Dセンターを建設しました。
うちの会長はよく「研究開発型企業を目指す」と言っています。これは要するに現状に甘んじることなく、そこから飛び出して寒天の新たな使い方を提案するということでしょう。
さらに言えば、これは単に技術的な開発のみならず、経理や営業であっても、通り一遍な仕事をしたり常識を踏襲したりするのではなく、自分たちで新たなシステムや売り方を考えると。そういう積み重ねが会社を永続させる上で、とても大事だと感じています。

志ネットワーク「青年塾」代表

上甲 晃

じょうこう・あきら

昭和16年大阪府生まれ。40年京都大学卒業と同時に松下電器産業(現・パナソニック)入社。広報、電子レンジ販売などを担当し、56年松下政経塾に出向。理事・塾頭、常務理事・副塾長を歴任。平成8年松下電器産業を退職、志ネットワーク社を設立。翌年、青年塾を創設。著書に『志のみ持参』『志を教える』など多数。最新刊に『志を継ぐ』(いずれも致知出版社)がある。