2025年1月号
特集
万事修養
対談
  • 文芸批評家新保祐司
  • 文藝評論家小川榮太郎

日本の先達に
学ぶ人間学

いま日本人が忘れてはならないこと

日本人の道徳心やモラルの崩壊が叫ばれて久しい。それはそのまま国力衰退の要因ともなっている。しかし、約150年前、明治維新を成し遂げ西欧列強を凌駕するほどの影響力を及ぼす日本の姿があった。その背景に、明治人の修養精神があったことは明らかである。いまの日本の混迷の原因はどこにあるのか、そして私たちは先人たちに何を学ぶべきなのか。文芸批評家の新保祐司氏と、文藝評論家の小川榮太郎氏に語り合っていただいた。

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文学や思想をベースに言論活動

新保 小川さんと初めてお会いしたのは、2017年の正論大賞、新風賞の授賞式の時でしたね。

小川 ええ。しんさんは大賞、私は新風賞を受賞し、挨拶させていただいたのが最初です。

新保 小川さんは長年政治面での言論活動を続けられているわけですが、一般に政治、経済、国際情勢について語るのは学者やエコノミストといった専門家たちです。ところが小川さんは文藝評論家を名乗られていて文学や思想をベースとしてお持ちになっている。こういう言論人は案外少なくて「これは貴重な方が出てきたな」と嬉しく思ったものです。同じ会場で賞をいただけたというのも、何かの縁だったのでしょう。

小川 私も新保さんの代表作『内村かんぞう』は以前から繰り返し熟読しており、運命的なものを感じました。新保さんは明治期の「日本と西洋のかいこう」を現代日本の戻るべき原点と見て様々な問題提起をされている。そのように文学や思想をベースにした言論人はこの20年くらいでほぼ消滅してしまいましたね。

新保 おそらくそうでしょう。ところで、僕は小川さんに一度お聞きしたいと思っていたことがあって、肩書の文藝評論家の藝を正字にされているでしょう? そこには何かこだわりがあるのですか。

小川 正字正仮名を正しく継ぎたいという思いは当然あります。加えて、とりわけ藝という字は、作家のまる才一さいいちが「芸は略字の中でも最も醜い」と述べているように、特に使いたくない略字の一つなんです。

新保 やはりそうでしたか。藝を正字にすることで単なる文芸評論ではないと、そこに一つの異議を唱えられているわけですね。
実は僕も新聞などで文芸評論家と書かれることがありますが、そうじゃない、文芸批評家だと。文芸批評というのは一つのジャンルだと僕は思っているんです。

小川 そこは大事なところですね。近代日本における文芸批評は小林秀雄、河上徹太郎から始まりました。福田恆存つねあり、江藤淳、西尾幹二などがそれを継いできましたが、実は、彼らはそれほど小説の評論を書いているわけじゃない。文学の論評ではなく、広い意味で人間の研究、歴史の研究をするジャンルが、小林秀雄に始まる日本の文芸批評なのです。
昭和までは小林の跡を追おうとする人たちが数多くいました。ところが、ここ数十年それが突然いなくなってしまった。

新保 文芸批評家も文芸評論家もやめて、いまや書評家ばかりが増えてしまった感があります。

小川 そんな肩書はひと昔前までありませんでした(笑)。

文芸批評家

新保祐司

しんぽ・ゆうじ

昭和28年宮城県生まれ。東京大学文学部卒業。『内村鑑三』(文春学藝ライブラリー)で新世代の文芸批評家として注目される。文学だけでなく音楽など幅広い批評活動を展開。平成29年度第33回正論大賞を受賞。著書に『明治頌歌—言葉による交響曲』(展転社)『明治の光 内村鑑三』『「海道東征」とは何か』(共に藤原書店)など多数。

人が人になる仕組みを失った戦後の日本

小川 いまの政治に象徴されるように、世の中は混迷を極めていますが、新保さんはこの世相をどのようにお感じになっていますか。

新保 いやー語り出したら切りがないくらい、何から何まで欠けちゃっていますよね。とても言い尽くせませんが、あえて少し遠いところから球を飛ばすと「詩が欠けている」と思う。

小川 詩ですか。

新保 僕が正論大賞を受賞した時、西尾幹二さんから「時事評論をやるにしても最終的な詩が伝わってこなかったら駄目だぞ」と電話をいただいたことがあります。西尾さんの言う詩とはいわゆる現代詩のたぐいではなくて、しいて言えば漢詩をはじめとするこうぶんがく的なものです。例えば、日露戦争を戦ったまれすけ大将は軍人ではなく実は漢詩人だと僕は思っているのですが、その詩の持つ精神の硬さのようなものを日本人は失ってしまった。このことについては後ほど改めてお話ししたいと思います。

小川 「何から何まで欠けている」という新保さんのお言葉は、実に端的で的を射たものだと思います。新保さんのおっしゃる「詩の持つ精神の硬さ」というようなものははるか遠方に消えてしまっていますから、私は、より現実的な視点から口火を切ってみましょう。
日本では戦後、様々な精神的な破壊が行われましたが、その一番の病根は近代個人主義を無条件に取り入れたことだと思います。なぜならこの近代個人主義の中には「人が人になる仕組み」がないからです。
例えば、戦後、真っ先に教育現場に配られた『新しい憲法の話』という本。そこでは基本的人権とか国際平和主義、主権在民ということを「これがこれからの国柄くにがらだ。日本人の生き方だ」と教えているんです。

新保 そうでしょうね。

小川 日本人の精神的なバックボーンをすべて否定して、政治文書にすぎない憲法を人間のあり方の基本にしちゃった。そこには歴史も共同体意識も、今回のテーマである修養もない。いまに至るまでずっとそう。「人が人になるとはこういうことだ」という教育をここまでおろそかにして70年、80年やってくれば、そりゃあ国は土台から腐るし、壊れるでしょう。

新保 いまの日本は暖簾のれんに腕押しというのか、批判に値する硬さすらありませんね。まるで沼のようで、そこには鳥もないし小石もない。せめて岩石でもあればわしがとまることができるんだけど、それすらない。
戦後にさかのぼれば、昭和20年に敗戦という壁にぶつかった時、日本はすでに精神的な骨が折れてしまっていた。それでも中途半端なまま何となく生きることができて経済成長を遂げてきたけれども、80年前の衝撃がいまになって表に出てきた、という言い方もできるのではないでしょうか。

小川 新保さんの現代批判にはまさに詩がありますねぇ……。いまのお話、少し補足させていただくと、戦後の日本には小泉信三、和辻哲郎、小林秀雄など確固たる保守思想家はいましたが、彼らは既に時代思潮から孤立していました。
一方では左翼革命を通して伝統的な価値観を破壊することが新時代の理想だと考える人たちがいた。共産党と社会党、朝日新聞社や岩波書店、東京大学が拠点です。彼らが時代思潮の主流派でしたが、だからといって日本で左翼革命が起きるなどと本気で信じていたわけではない。単なる気分ですね。新保さんのおっしゃる「硬さ」は彼らにはない。で、左派でも「詩の硬さ」を持っていた中野重治しげはる、吉本隆明といった人たちは、やはり左派の中でも孤立していたのです。
昭和20年以降、日本という国は右も左も真の思想家、文学者らには居場所がない国になってしまったと私は思います。それはまさに精神的な骨が折れたために生じたことでしょう。

(文藝評論家)

小川榮太郎

おがわ・えいたろう

昭和42年千葉県生まれ。大阪大学文学部卒業、埼玉大学大学院修士課程修了。専門は近代日本文学、19世紀ドイツ音楽。著書に『小林秀雄の後の二十一章』(幻冬舎)『「保守主義者」宣言』(育鵬社)『約束の日 安倍晋三試論』(幻冬舎文庫)など多数。日本平和学研究所理事長。平成29年度正論新風賞受賞。令和6年季刊誌『湊合』を創刊。