2022年8月号
特集
覚悟を決める
対談
  • 柔道家(左)井上康生
  • 静岡ブルーレヴズ クラブ・リレーションズ・オフィサー(CRO)(右)五郎丸 歩

覚悟を決めた時、
勝利への扉は開かれる

全日本男子柔道代表監督として日本男子柔道を立て直し、東京オリンピックでは史上最多5つの金メダル獲得という偉業を成し遂げた井上康生氏。2015年のラグビーワールドカップで世界の強豪・南アフリカを打ち破るなど、日本ラグビー界を牽引し、現役引退後はビジネスマンとして新たな舞台で挑戦を続ける五郎丸 歩氏。柔道とラグビー——共に世界の舞台で戦ってきたお二人に、これまで歩んできた道のりを交え、自らの運命を切り開く要諦を語り合っていただいた。

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お互いに尊敬し合う二人

井上 最初の出会いは、スポーツ総合雑誌『Number』での対談でしたね。それが確か2018年。

五郎丸 ええ、そうでした。その当時、私は『Number』で連載をしないかというお話をいただいていて、それならスポーツ選手として尊敬する井上康生さんとぜひ対談させてくださいと担当者に伝えたところ、とんとん拍子で実現して……。ただ、私は井上さんとの対談で満足してしまい、連載はその1回で終わってしまった(笑)。
というのも、祖父が柔道の先生をしていたこともあって、子供の頃からオリンピック競技では柔道の試合を熱心に観ていたんです。柔道は礼儀作法などを含め、日本人が大事にしているものが脈々と受け継がれている競技ですし、その中でも井上さんは重い階級で世界一になられて、「ああ、格好いいな」「すごいな」と、一方的に尊敬の念を抱いていました。

井上 こちらとしても、かねて世界の舞台で活躍してきた五郎丸さんを「格好いい人だなぁ」との思いで見ていましたから、対談のオファーをいただいた時は、それはもう二つ返事で受けさせていただいたのです。
実際お会いした瞬間、非常に華がある人だなと感じ、一つひとつの言葉にも説得力があって、やはりイメージしていた通り格好いい人だなと感銘を受けました。
そして『Number』の対談をきっかけに、子供たちにスポーツの意義や楽しさを伝える「キッズスポーツキャンプ」(日本財団)の取り組みなど、五郎丸さんとはいろいろな場面で交流させてもらってきたわけですが、これからもぜひ一緒に日本のスポーツのために頑張っていきたいと思っています。

静岡ブルーレヴズ クラブ・リレーションズ・オフィサー(CRO)

五郎丸 歩

ごろうまる・あゆむ

昭和61年福岡県生まれ。両親の影響で3歳からラグビーを始める。平成13年佐賀工業高校入学、3年連続で花園に出場。16年佐賀工業高校卒業。同年早稲田大学入学。1年次時よりレギュラーとして活躍し、3度の日本一を経験。17年、19歳1か月で日本代表初選出。20年早稲田大学卒業。同年トップリーグ所属のヤマハ発動機ジュビロ入団。23年、24年と2年連続でシーズンの得点王&ベストキッカー受賞。27年ラグビーW杯イングランド大会で強豪・南アフリカを破る中心選手として活躍。28年仏RCトゥーロン所属。29年ヤマハ発動機ジュビロ復帰。令和2年12月現役引退。3年に静岡ブルーレヴズに入社、クラブ・リレーションズ・オフィサー(CRO)を務める。

現状に満足せず高みを目指し続ける

五郎丸 ところで、井上さんは昨年(2021)の東京オリンピックで全日本柔道男子代表監督を退任されましたが、男子柔道は史上最多となる5個の金メダルを獲得するなど、素晴らしい活躍でしたね。試合を見ていてとても感動しました。

井上 すべての試合が終わり、皆に胴上げしてもらった時は、「ああ、これで終わったんだ」という気持ちが込み上げてきて、ひたすら泣いていました。もともと任期は2期8年だったのですが、コロナを挟んで9年、代表監督を務めさせていただき、大変なことはたくさんありましたけれども、指導者としてこれほど幸せな時間はなかったと改めて実感しています。
ただ、柔道には「道」がつくように、大事なのは現状に満足することなく高みを目指し続ける、これまでに得た経験なり知識なりを次のステージで生かしていくことです。それで、代表監督を退任した後、「JOCパリ五輪対策プロジェクトリーダー」という責任ある立場をいただき、いまは自分にできることで精いっぱい貢献していきたいという思いでいます。

東京オリンピックの柔道混合団体で銀メダルを獲得し、フォトセッションに応じるメダリストと井上康生・男子監督(前列左から4人目)©時事通信

五郎丸 パリ五輪対策プロジェクトリーダーというのは、具体的にはどのような立場なのですか。

井上 これは柔道だけでなく、全競技の選手強化の責任者になりますから、パリオリンピックで全選手が力を発揮できるよう、各競技団体や関係機関と連携を深めていく、あるいは現地に視察に行って環境面を整える、そういった仕事に取り組んでいるところです。
同時に、日本オリンピック委員会の中長期戦略プロジェクトにも携わっていまして、そこでは勝ち負けだけではない、スポーツが持っている価値や多様性をいかに高め、広く発信していくかについて議論しています。それを通じてスポーツ、オリンピックというものが、もっと社会の活力、皆さんの生きる力になるように全力を尽くしていきたいと思っています。

柔道家

井上康生

いのうえ・こうせい

昭和53年宮崎県生まれ。父親の影響で5歳から柔道を始める。平成9年東海大学入学。11年バーミンガム世界選手権大会100キロ級優勝を皮切りに、12年シドニーオリンピック柔道100キロ級金メダル、13年全日本選手権大会100キロ級で優勝し、22歳にして3冠王者に輝く。同年東海大学卒業。東海大学大学院体育学研究学科体育学専攻修士課程修了後、綜合警備保障入社。20年現役引退。24年11月より史上最年少で全日本柔道男子代表監督に就任。28年リオデジャネイロオリンピック、男子7階級でメダル獲得。令和3年東京オリンピックでは史上最多5個の金メダルに導き、9月末で監督を退任。現在はJOCパリ五輪対策プロジェクトリーダー、全日本柔道連盟の強化委員会副委員長などを務める。