2016年7月号
特集
腹中書あり
我が人生の腹中の書②
  • ル・クログループ オーナーシェフ黒岩 功

諦める一歩先に
必ず宝がある

国内に4店舗、パリに1店舗、計5店舗の人気フレンチレストランを経営するル・クログループオーナーシェフの黒岩功氏、49歳。幼い頃は、病弱で成績も家庭環境も悪く、コンプレックスの塊だったという。そんな氏の人生を変えた1冊の本がある。ナポレオン・ヒルの『成功哲学』だ。氏はそこからいかにして一流シェフの道を切り開いていったのか。

この記事は約10分でお読みいただけます

感謝の軸足を持つ

常に目的を明確に設定し、目標値をつけ、そこに向かって挑む。その道程では必ず障害が起こるけれども、人や本、言葉との出逢いによって跳ね返していく──。

30年余りにおよぶ私の料理人人生を振り返ると、この繰り返しだったように思います。

現在私は、大阪を中心に国内4店舗、本場パリに1店舗、計5店舗のフレンチレストランを運営する傍ら、京都と大阪の2か所で障碍を抱える人たちが働く福祉事業所を経営。その他、ブライダル、レストランプロデュース、ケータリングなどの事業を手掛け、食育インストラクターとして全国各地で講演活動も行っています。

とりわけ、ゲストが料理を選べる関西初の披露宴として、注目を集めている「ル・クロ・ド・マリアージュ」は、某口コミサイトで関西総合1位にも輝きました。

しかしながら、いまから16年前、32歳でフレンチレストラン「ル・クロ」をオープンした当初は、決して順風満帆とは言えませんでした。場所は大阪西心斎橋の細い路地裏の一番奥。全く人目につきません。そこに構えていた小料理屋を改装したのですが、当時はお金がなく、銀行から借り入れもできなかったため、知り合いの内装屋さんと一緒に汗を流して店づくりに励みました。

スタッフは私と家内の2人だけ。私が料理をつくり、家内は生まれたばかりの赤ん坊を背負いながら接客する。ヨーロッパで3年間修業を積み、帰国後いくつかの有名料理店でシェフを務めていたため、腕には自信があったものの、最初の半年間は1日に1、2組のお客様が入ればいいほうで、1組も来ない日がしょっちゅうありました。あまりに貧窮し、近くの大学構内にある学生食堂に家内と通っていたこともあります。

そこで踏ん張れたのは、「この子のミルク代のためにも、俺は絶対頑張らなあかん」という親心と家族に対しての感謝、幼少期の辛い体験によって培われた「絶対に見返してやる」という反骨精神があったからに他なりません。

この2つの思いでコツコツ続けていったところ、1年後から徐々に口コミで広がり、「靴を脱いで、掘りゴタツで、箸を使って楽しめるフレンチ」として評判を呼ぶようになりました。

2012年にパリ出店を決断した時もそうです。仮契約を交わしたにもかかわらず、法律や文化の違いなど、様々な問題が押し寄せ、全く工事が進まない。だが、その間も家賃は支払い続けなければなりませんでした。私は毎日のように吐き気を催し、「やっぱり撤退しようかな、やめようかな……」と、悶々と悩んでいました。

しかし、その時にこう思ったのです。「いや、待てよ。何のためにパリに店を出すのか。それはいつも感謝しているうちのスタッフに夢を持ってもらうためだ。スタッフに恩返しするためだ。だから、スタッフのために絶対に出さなあかん」。この思いが強烈なコミット力になり、様々な障害を押し返すエネルギーになりました。結果として、その翌年に晴れてオープンできたのです。

私はスタッフによく、「感謝の軸足を持って、モチベーションを維持していこう」と言っています。困難に直面した時、踏ん張りを利かせるためには軸足が必要です。その基盤は感謝に他なりません。常に感謝の心を持って取り組めばモチベーションは高まり、突破口が開ける。これは体験をとおして掴んだ私自身の哲学の一つです。

ル・クログループ オーナーシェフ

黒岩 功

くろいわ・いさお

昭和42年鹿児島県生まれ。61年辻調理師専門学校卒業。平成元年全国司厨士協会の調理師派遣メンバーとしてスイスに渡る。その後、フランスの二ツ星レストラン「ジラール・ベッソン」、三ツ星レストラン「タイユヴァン」「ラ・コート・サンジャック」で修業を積む。帰国後、いくつかの有名料理店でシェフを務め、12年「ル・クロ」をオープン。著書に『三ツ星で学んだ仕事に役立つおもてなし』(アチーブメント出版)『また、あの人と働きたい』(Nanaブックス)。