2025年2月号
特集
2050年の日本を考える
提言
  • お茶の水女子大学名誉教授藤原正彦
日本を凜とした国にするために

明治に学ぶ
2050年の
日本をひらく道

日本の混迷の大本は、日本人が太古の昔から育んできた美質を、欧米崇拝の歴史の中で見失ってしまったことにある──。日本のあるべき姿を長年、提言してきた藤原正彦氏の視点は明確である。そして、明治人たちの生き方に学ぶことは、その美質を取り戻す道でもあるという。藤原氏の提言は、眠っている日本人の魂の覚醒を促すものといってよい。

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日本には世界に誇るべき美質があった

「基盤となる形を持たない個性は、新しい思潮に常に圧倒される」

根無し草のようないまの日本の風潮を思う時、かつて文芸評論家のからじゅんぞう氏が語ったこの言葉が思い起こされます。

結論的なことから申し上げれば、日本には古来、他のどの国にもない誇るべき美質がありました。それを忘れて欧米の思想や考え方に迎合し飼いらされてしまったことが、現代における様々な混乱の一番の要因である、というのが私の一貫した主張です。

欧米の国々が日本の手本とするに足る国家であればまだしも、道徳的に日本に比べてはるかに後れをとる国々を逆に手本としながら歩んできたわけですから、これがそもそもの間違いだったのです。

有史以来、日本は道徳面で世界を圧倒し続けていました。中国の歴史書『かんじょ』には「邪馬台国やまたいこくには盗みがなく、嘘をつかない正直な人たちが住んでいる」という趣旨のことが記され、16世紀に宣教のために日本に来たフランシスコ・ザビエルや、17世紀に来日し『日本誌』という本を書いた医師エンゲルベルト・ケンペルは共に「日本人は非常に正直であり、道徳的に世界のどの国よりも上だ」といった言葉を残しました。幕末、明治期に日本を訪れた外国人たちもまた、異口同音に日本人の道徳性の高さを称賛しています。

では、それほど精神性が高かった日本人がなぜこのような体たらくになったのでしょうか。その大本を辿たどると約200年前、アジアに吹き荒れた欧米の帝国主義、植民地主義に向き合う中で、本来の日本精神をいつしか忘れてしまった日本人の未熟さに行き着きます。

明治維新後、日本人は文明開化をして欧米の科学技術を取り入れ富国強兵を果たさない限り、清や東南アジアのような植民地になってしまうと恐れていました。西洋の政治や科学技術に通じ、文明開化を先導した福澤諭吉も、その根底にあったのは、いかにしたら日本は植民地化からまぬかれることができるかということでした。

当時の日本の学問は、ドイツの数学者・ライプニッツが行列式を発見する10年前にせきたかかずが発見し使っていたことから分かるように、和算は世界的に見ても秀でたものでした。半面、物理、化学、哲学といった学問分野は無に等しく、これらの遅れを取り戻し、欧米に並ぶことに皆躍起になっていました。植民地化を回避するためにナショナリズムの道を突き進んだのも、日本の独立自尊のためにはやむを得ない選択だったのです。

欧米列強には、アジア、アフリカ、中東、南米などにある有色人種国の植民地化を正当化する論理がありました。「劣等民族に統治を任せていたら、殺人や賄賂わいろまんえんし滅茶苦茶な国になってしまう。だから優秀な我われ白人が統治してあげる」という実に〝親切な〟論理です。論理は所詮しょせん、自己正当化にすぎません。その裏には劣等民族をとことんさくしゅし、言いくるめて貿易でひと儲けしようという野心しかありませんでした。

だが、日本の勤勉性や道徳性、識字率の高さに触れた彼らは、日本に限ってはこの論理が通用せず、植民地化は不可能であると気づきました。日本に上陸してみると、江戸の庶民が本屋で立ち読みをする姿を見たからです。江戸末期の日本人の識字率は90%を超え世界でダントツだったのです。

お茶の水女子大学名教授

藤原正彦

ふじわら・まさひこ

昭和18年旧満州新京生まれ。東京大学理学部数学科大学院修士課程修了。理学博士。コロラド大学助教授などを経て、お茶の水女子大学教授。現在は同大学名誉教授。53年に数学者の視点から眺めた清新な留学記『若き数学者のアメリカ』(新潮文庫)で日本エッセイスト・クラブ賞受賞。ユーモアと知性に根ざした独自の随筆スタイルを確立する。著書に280万部の大ベストセラー『国家の品格』(新潮新書)の他、『国家と教養』(同)『スマホより読書 本屋を守れ』(PHP文庫)など多数。最近著に『藤原正彦の代表的日本人』(文春新書)。