2020年7月号
特集
百折不撓
  • 東京大学名誉教授月尾嘉男

人類は幾度もウイルスとの
闘いを乗り越えてきた

百折不撓の道

新型コロナウイルスの出現に世界が翻弄されている。だが、これは初めてのことではない。巨視的に捉えれば、人類はウイルスと幾度も向き合い、その都度多くの犠牲を払いながら乗り越えてきた歴史が明らかになる。多角的視点での文明批評に定評があり、感染症の歴史に強い関心を持つ東京大学名誉教授の月尾嘉男氏に、人類とウイルスの闘いの歴史と、そこから得られる教訓についてお話しいただいた。

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新型コロナウイルスはなぜここまで拡大したのか

中国・武漢で発生した新型コロナウイルスは、いまなお地球規模で猛威を振るっています。突然発生した未知のウイルスは現代文明をおびやかし、政治、経済、医療など各界の叡智えいちを集めながら必死に収束を模索している状態が続いていますが、これは決して想定外の出来事ではありません。人類の歴史を振り返れば幾度となくウイルスとの闘いがあり、人類はその闘いを乗り越えることで今日まで生存してきたのです。

闘いの歴史を振り返る前に、まずは今回の新型コロナウイルスがなぜここまで世界に拡大し、多くの人命を奪っているかを検証していきますが、そこには大きく4つの要因が挙げられると思います。

1つ目は国際政治の思惑おもわくです。武漢でウイルスが発生した当初、中国政府はこれを隠蔽いんぺいし、中国との関係が緊密なWHO(世界保健機関)も正確な情報を世界に伝えませんでした。そのこともあってかアメリカのトランプ大統領も事態を軽視。これが初動の遅れにつながったことはメディアで報じられている通りです。

2つ目として新型コロナウイルスの致死ちし率の低さに気を緩めてしまったことが考えられます。このウイルスは大変な感染力を持つ一方、致死率は世界全体で7%前後です。2002年に中国で発生し世界に広がったSARSサーズの10%、2012年にアラビア半島から世界に拡大したMERSマーズの34%、2014年から数年にわたってアフリカで猛威を振るったエボラ出血熱の40%に比べて低く、そのため油断し、結果的に感染拡大を招く一因となってしまったことは否めません。

3つ目は、ウイルスを伝染させる媒体が目に見えないことです。日本脳炎やデング熱であれば、ウイルスを媒介する蚊を警戒し退治することができますが、新型コロナウイルスの場合、感染の予兆は何もありません。無症状の陽性患者も多く、誰も気づかない中でウイルスが蔓延まんえんしてしまっていたのです。

さらに大きな視点で見れば、人類全体が長期的に見て油断をしてしまったとも言えます。19世紀中頃には世界的にコレラとペストが大流行し、コレラで数100万人、ペストでは1,000万人以上が亡くなったとされています。20世紀になると、スペイン風邪が世界規模で流行し、推定5,000万人、日本でも50万人くらいの命を奪ったといわれます。さらにアジアではアジア風邪、香港風邪が大流行し、それぞれ200万人、100万人が亡くなっています。

これらは細菌やウイルスが世界中にパニックをもたらしたわけですが、それ以降50年間ほどは沈静化していました。近年、SARS、MERS、エボラ出血熱が相次いで発生しましたが、いずれも致死率が高い割に感染者も死者も少数であり、世界的規模で見れば新型コロナウイルスは香港風邪以来の大災害になりました。50年前の大切な教訓や備えを忘れかけていた人類を、未知のウイルスが襲ったのです。

東京大学名誉教授

月尾嘉男

つきお・よしお

昭和17年愛知県生まれ。40年東京大学工学部卒業。46年東京大学大学院工学系研究科博士課程修了。53年工学博士(東京大学)。都市システム研究所所長、名古屋大学教授、東京大学教授などを経て平成15年東京大学名誉教授。その間、総務省総務審議官を務める。著書に『日本が世界地図から消滅しないための戦略』(致知出版社)など。