2020年7月号
特集
百折不撓
インタビュー③
  • ピアニスト西川悟平

最悪と思われる出来事も、
考え方と行動によって
最高の出来事に変えられる

「一生ピアノを弾けない」。ピアニストにとって生命線の指を難病に侵され、医師からそう宣告された西川悟平氏。自ら命を断とうとするほど苦しい状況からいかに光を見出し、7本指のピアニストとして世界中で活躍する夢を掴んだのか。逆境をプラスに捉え、自らの人生を切り開いてきた西川氏の思考法に学ぶ。

この記事は約14分でお読みいただけます

「絶対無理」その言葉を覆してきた人生

——西川さんのコンサートを以前鑑賞しましたが、聴いているだけでは、七本の指で演奏されているとはまったく分からない、素晴らしい音色でした。

ありがとうございます。でも鍵盤けんばんの上では、動かない指を補うために7本の指が結構アクロバティックに動いているんですよ。白鳥が優雅に泳いでいるように見えて水面下で必死に足を動かしているのと同じで(笑)。
僕は20年くらい前にジストニアという脳神経の異常により筋肉がこわばってしまう病気をわずらい、手の指が思うように動かせなくなりました。体の一部を酷使する人が発病しやすいといわれていて、明確な治療法が発見されていない難病です。
リハビリを続け、右手は何とか5本動くようになったんですけど、左手はいまも親指と人差し指だけ。あとの3本はピアノを弾く時だけグーの形に曲がって動きません。ですから、左手のパートを右手で補いながら弾いたり、独自にアレンジを加えたりして演奏しているんです。当然、物理的に弾けない曲もたくさんあります。

——普段はニューヨークを拠点に活動されているそうですね。

1999年に渡米して以来21年間、アメリカを中心にヨーロッパ各地など様々な場所で演奏してきて、これから1~2年は日本で精力的に活動しようと思い、2019年8月に帰国しました。いまは新型コロナウイルスの影響でほとんど中止されていますが、銀座の専用スタジオで毎週末に演奏会を行う他、小学校や地方のイベントなどの活動にも力を入れていて、講演を交えながら演奏会を行っています。

——ピアノの演奏だけではなく、講演もされるのですか?

そうなんです。というのも、僕はこれまで周囲から「絶対無理」と言われ続けたことを叶え続けてきたんですね。例えば、15歳と比較的遅い時期にピアノを始めたため、「絶対に音楽大学には行けない」と笑われましたし、ニューヨークからスカウトがあった時も、「そんなうまい話はない。絶対成功しない」と言われました。また、ジストニアと診断された時には、5人の医師から「ピアノは二度と弾けない」と告げられています。でも、僕があきらめなかったことで、それらすべてを可能にすることができたんです。そういう実体験を多くの人に伝えることで、夢を諦めない力を身につけてほしいと願っているんです。

ピアニスト

西川悟平

にしかわ・ごへい

昭和49年大阪府生まれ。15歳からピアノを始め、平成11年に巨匠デイヴィッド・ブラッドショー氏とコズモ・ブオーノ氏に認められ、ニューヨークへ。同年リンカーンセンター・アリスタリーホールにてデビュー。翌年より定期的にカーネギーホールにて演奏。17年両手の演奏機能を完全に失い、ジストニアと診断される。20年7本指で演奏し、ヨーロッパデビュー、以来世界各国で活躍する。令和元年銀座に専用サロン「GINZA 7th Studio」オープン。著書に『7本指のピアニスト』(朝日新聞出版)がある。