2020年2月号
特集
心に残る言葉
対談
  • (左)指揮者西本智実
  • (右)和紙デザイナー堀木エリ子

「パッション」によって
切り開いた我が人生

「パッション」、この言葉は主に「情熱」という意味で使われるが、語源であるラテン語には「受難」、つまり困難を受けるとの意味もあるという。共に世界で活躍する和紙デザイナーの堀木エリ子氏と指揮者の西本智実氏が語り合う、一道に懸ける情熱、困難への向き合い方、そして仕事を通じて掴んだ成功の要諦――。

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「男前」同士の出逢い

西本 ご無沙汰ぶさたしております、堀木さん。

堀木 本当に久々ですね。

西本 京都南座で演出・指揮することとなりました「蝶々ちょうちょう夫人」全幕。あれはコンサート形式で場面抜粋した公演でしたね?

堀木 ええ。2010年の大晦日おおみそかでしたが、大変でしたよね、あの時は。私が制作した巨大な和紙の作品を天井からるした舞台美術で、大道具さんが操作を誤りワイヤーが切れてしまった。あの時、私はどうすることもできなかったので、お正月の3日間は落ち込んでいました。
ただ、一番驚いたのは和紙が落ちかけたことではなくて、大変な状況をまったく気に留めずに演奏を続ける西本さんの姿でした。ちょうど蝶々夫人が泣き叫ぶシーンでしたから、演出の一つで緊急事態だったことに気づかなかった人も多かったようですよ。

西本 演奏は止められないので…。テレビ収録もありましたから、その場面は別の画面に切り替えられて放送していましたね。あの時は南座という歌舞伎劇場の特色をさらに際立たせたいと思い、堀木さんの和紙を舞台で使わせていただきました。その後、祇園甲部ぎおんこうぶや新橋の芸妓げいぎ衆の皆さんが出演してくださった大和証券グループプレゼンツの「蝶々夫人」全幕を皮切りに、和洋混在の舞台作品をつくり始めましたが、その始まりは堀木さんとご一緒させていただいた舞台でした。

堀木 そうだったんですか。西本さんと最初に出逢ったのは、確か南座から2年くらい前でしたよね。

西本 共通の友人の紹介で、一緒にお食事をしましたね。

堀木 西本さんの第一印象は、本当に男前だなと!(笑)。

西本 堀木さんも!(笑)。それまで私は和紙デザイナーの仕事のすごさを深く理解できていなかったのですが、紙きとデザインの両方をされるというのは、音楽で譬えれば演奏も指揮もするようなものですよね。大変なことをされているのだとよく認識しました。
お話を伺い、和紙は空間の舞台装置だと感じました。音楽と共に和紙が視覚的に想像を広げてくれるのではないか。そう考えて、いつか堀木さんとご一緒させていただきたいと思っていました。

堀木 嬉しいです。私はもともとメディアを通じて西本さんのことは存じ上げていて、一度お目にかかりたいなと思っていました。ですから、音楽と和紙の融合という一つの新しいチャレンジができたことに感謝しています。

和紙デザイナー、堀木エリコ&アソシエイツ社長

堀木エリ子

ほりき・えりこ

昭和37年京都府生まれ。高校卒業後、住友銀行(現・三井住友銀行)入行。62年呉服問屋に入社し、和紙事業部「SHIMUS」を設立。平成12年独立し、(株)堀木エリ子&アソシエイツ設立。和紙インテリアアートの企画・制作から施工までを手掛ける。近年の作品は東京ミッドタウン、成田国際空港第1ターミナルのアートワークの他、バカラとのコラボレーションによるシャンデリア、舞台美術等。著書に『挑戦のススメ』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)などがある。

偶然性をどう引き出すか

西本 チャレンジといえば、堀木さんは既成概念を超えた様々な和紙の作品や技法を生み出してこられましたね。

堀木 私は、チャレンジはすごく大事だと思っていて、「昨日よりはきょう、きょうよりは明日」と、自分であえて高いハードルを設定しています。営業活動は一切しておらず、すべてお客様からの依頼にお応えする仕事ですが、その要望に必死に応えようと創意工夫をしていることが、結果的に新しい技術への挑戦につながりました。
例えば1998年に立体和紙という技術を生み出しましたが、これも、ある建築家から「卵型の和紙の照明器具をつくってほしい」という依頼があってのことです。
最初は竹ひごや針金で骨組みをつくり、平面の和紙をちぎってのりで貼って卵型をつくりました。でも何かつまらない。これであれば、提灯ちょうちん屋さんのほうが上手につくれるかもしれないし、照明器具メーカーさんのほうが安くつくれるかもしれない。そう思って、できあがった卵をちらちらと横目で見ながら、しばらく違う仕事をしていたんです。するとある日、「卵に骨はない」と気がついて。

西本 確かに、骨はありませんね。

堀木 なぜ骨組みをつくっていたんだろうと思った瞬間から、新しい技術への挑戦が始まりました。
糊も骨組みも使わずに和紙を立体的にする。前例のない挑戦でしたが、試行錯誤を重ねて1か月ほどで立体和紙の手法を確立することになりました。いまではどんな形でも自由な曲面を生み出すことができます。

西本 いま1か月とおっしゃいましたが、その時急にできたわけではないですよね。それまで常にいろんなアンテナを張り巡らせて考えていたから、常識にとらわれないアイデアをひらめくことができた。
私たちも演奏会や舞台の上演日は決まっているので、お越しくださる方々が「来てよかった!」と思っていただけるように日々準備しています。
オーケストラで100人が瞬間的につくり出す音にはいろんな要素が交じり合っているため、指揮者は全体を俯瞰し、偶然性をも活かせる要領が必要とされます。和紙の制作にも偶然性が占める割合がかなり多いかと想像しますが、いかがですか?

堀木 紙漉きの世界も一緒ですね。職人さんと共に10人がかりで漉くんですけど、「100%思い通りにしてやろう」と思って漉いても、ろくなものになりません。道具を動かすタイミングや天候、水の状態など様々な要素が影響していて、3割くらいの偶然性が発生した時、人間の力では想像できないようなデザインが生まれると感じています。だから逆に、3割の偶然性をどうしたら引き出せるのかを課題にしていて、原料や水などの自然を相手に「指揮」を執っているのかもしれません。
西本さんの場合、相手が人間だから、余計に大変じゃありませんか?

西本 各自が表現者であり、楽器という専門道具を使っているので、とても繊細です。また、演奏中はその場所から離れられないので、客観的な判断のすべては指揮者にゆだねられている。まさに重責です。

堀木 確かに。しかも、指揮者は前と後ろの両方から視線を浴びているわけですからね。

西本 それがね、お客様のことはあんまり意識しないんです。前だけを見ている。そうは言いながらも、身体で疲れが残るのは背中かも……。日常のふとした瞬間に緊張を感じるのも背中なので、やはり2,000人近いお客様に2時間も背中を向けて立つということは相当のプレッシャーなんだと思います。
偶然テレビからチューニングの音が聞こえてくると、瞬間的に体が本番だと勘違いして緊張感に包まれてしまいます。

指揮者、イルミナートフィル芸術監督

西本智実

にしもと・ともみ

昭和45年大阪府生まれ。イルミナートフィル芸術監督。名門ロシア国立交響楽団、旧レニングラード国立歌劇場で指揮者ポストを外国人で初めて歴任。各国を代表するオーケストラ、名門歌劇場、国際音楽祭など約30か国から招聘。平成30年イルミナートフィル中国主要都市8公演を成功に導いた。「出光音楽賞」「国家戦略担当大臣感謝状」他受賞多数。ヴァチカン音楽財団より「名誉賞」を最年少で授与、「広州大劇院名誉芸術家」称号授与。