2022年5月号
特集
挑戦と創造
インタビュー
  • 東京海上ホールディングス会長永野 毅

かくして
「良い会社」を創ってきた

To Be a Good Company

国内最大の損害保険グループである東京海上ホールディングスは、天災や戦争など様々な試練を乗り越えながら143年の歴史を刻んできた。社員約4万人を擁するグループを社長、会長として牽引してきた永野 毅氏の歩みもまた、文字通り挑戦と創造の連続だった。世界初となる生保、損保の一体型保険を自ら開発し、有力商品の一つに育て上げたほか、社長として「To Be a Good Company」というビジョンを掲げ、売り上げやマーケットシェアを伸ばすという従来の考えを、社員の活力やお客様からの信頼を伸ばすという考えに転換。社員の意識を変革し実績に結びつけてきた。その永野氏にご自身の仕事観を交えながら、今日までの歩みを振り返っていただいた。

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若者の挑戦心が143年の歴史をつくる

——御社1階の待ち合いロビーでは、創業から今日までの歩みが美しい映像やパネルで紹介されていますね。拝見しながら143年という歴史の重みを感じました。

ご覧いただいたのですね。ありがとうございます。当社は1879年の創業で、株主には渋沢栄一さんも名を連ねています。もともとは当時業績を伸ばしていた海運、貿易のための海上保険会社としてスタートしたのですが、その後の歩みを辿たどると順風満帆じゅんぷうまんぱんではなく、むしろいろいろな危機に直面しながらも挑戦に次ぐ挑戦によってそれを乗り越え、新しいものを創造してきた会社なんですね。
保険はもともとグローバルな事業ですから、当社も創業してすぐに上海、ニューヨーク、ロンドン、パリと海外に相次いで出店しました。ところが、ロンドンで相当大きな事業の失敗がありまして、その後も関東大震災や敗戦、近年では阪神・淡路大震災、東日本大震災といった多くの困難や危機を乗り越えてきました。特に敗戦時にはアメリカの保険会社など在外資産をすべて失いゼロからの出発でしたから、近年、様々な天災や感染症が起きて大変だとはいっても、先人たちの苦労に思いをせれば「これしき」という思いです。

——チャレンジ精神は御社のDNAなのですね。

ええ。船舶にしろ自動車にしろ、世の中から事故や災害のリスクがなくなることは決してありませんから、私たちは創業以来、お客様の「いざを支える」という精神を社会的使命として成長してきました。もう一つ、挑戦と創造という点で申し上げれば、長い歴史の中で若いエネルギーが社の危機を救ってきたことが挙げられるんです。
1890年代に起きたロンドンでの失敗は、イギリスに設置した代理店が多額の手数料収入を得るために、高リスクの物件も構わずに引き受けたことに起因するものでした。一時は経営危機に陥りかねない事態に直面したのですが、急遽きゅうきょロンドンに派遣されその窮地を救ったのが入社4年目の各務かがみ鎌吉けんきち、入社間もない平生ひらお釟三郎はちさぶろうという2人の20代の青年でした。
2人は業務委託していた代理店との関係を解消し、英国市場で評価の高いウィリス・フェーバー商会に代理店を委託することで立て直しを図りました。各務はさらに損失を招いた経理方法の改革を進めます。これらの取り組みが奏功し、数年のうちに当社は業績を回復するんです。
後に海外の一流の保険会社と肩を並べるくらいにまで成長できたのも、各務、平生という若手社員のチャレンジ精神と、経営陣がそれを受け止める自由闊達かったつな社風があったからなんですね。ちなみに、各務は当社では中興の祖と呼ばれており、1931年5月、日本の実業家で初めて『TIME』誌の表紙を飾っています。

『TIME』誌の表紙を飾った各務鎌吉氏

——若い日本人のエネルギーに世界が注目したのですね。

若い人たちを中心とするチャレンジ精神と自由闊達な社風は当社の伝統であり、私も入社した頃、「お客様のため、会社のため、社会のために正しいと思ったら、3回までは上司と違う意見を言っていい。ただ、最後に決めるのは上司だから、4回目はきちんと従わなくてはいけない」と教えられました。そして、これも当時からそうなのですが、私たちは役職関係なしに社内では「さん」づけなんです。社長も上司も部下もすべて「さん」づけで呼ぶ。
これらの文化は若者のチャレンジ精神にあふれた自由闊達な社風をはぐくむ上でとても大切だと思っています。また広い視野で物事を考える癖をつけるために、係長なら課長、課長なら部長と1つか2つ上のポジションで物事を考える習慣をつけるよう平素から教育を受けてきました。

東京海上ホールディングス会長

永野 毅

ながの・つよし

昭和27年高知県生まれ。50年慶應義塾大学商学部卒業。東京海上火災保険(現・東京海上日動火災保険)入社。営業や商品・サービス開発に携わった後、東海ブロックや海外事業担当の役員を務める。平成25年東京海上ホールディングス社長に就任。31年代表権のない会長に就く。