2020年7月号
特集
百折不撓
対談
  • (左)埼玉ブロンコスオーナー池田 純
  • (右)千葉ジェッツふなばし会長島田慎二

こうして弱小チームは
超人気チームになった

片やプロバスケットボールチーム「千葉ジェッツふなばし」を優勝常連チームに成長させた島田慎二氏。片やプロ野球チーム「横浜DeNAベイスターズ」を5年で黒字化させた池田 純氏。共に経営危機に陥っていたスポーツチームを短期間でV字回復させた二人に、その奇跡の歩みや成功の要諦、リーダー論などを縦横に語り合っていただいた。

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共に新たなスタートを切った二人

池田 久しぶりです、島田さん。

島田 お元気そうで何よりです。池田さんとは酒をみ交わす仲ですが、こうしてきちんとお話しするのは初めてですね。

池田 そもそもの出逢いは私が学長を務めている「Number Sports Business College」という塾に講師として来ていただいたのが始まりでした。

島田 そうそう。結構初めのほうに呼んでいただきましたよね?

池田 この塾は横浜DeNAディーエヌエーベイスターズの球団社長を退任後の2017年からスタートしていて、4回目の講師をお願いしました。島田さんはプロバスケットボールチーム「千葉ジェッツふなばし」の社長として、飛ぶ鳥を落とす勢いで活躍されていた頃です。

島田 池田さんがベイスターズの経営改革を成し遂げられた功績は大変よく知っていましたし、業界内では「切れ者」というイメージで有名人でしたから、前々からお会いしたいなと思っていたんです。
ここ数年はスポーツの垣根を越えたイベントが増えてきましたけど、池田さんがスポーツビジネスカレッジでやられていたことはその先駆けでしたよね。

池田 選手ではなく、チームの経営者が競技を越えて語り合う機会はほぼなかったんですよ。私が野球で島田さんがバスケで、同時期にチームの経営をV字回復させてきた経験があったので、私もお話ししたいと思っていたんです。

島田 ところで池田さん、この間の3月にプロバスケットボールチーム「埼玉ブロンコス」のオーナーになったと発表されましたね。

池田 そうなんですよ。島田さんも2月に東京都社会人サッカーリーグに所属する「エリース東京FC」とスポンサー契約を結んで、サッカー界に参入されましたね。その直前に一緒にんでいたんですけど、その時はまだお互いに、「そろそろ新しい発表ができそうなんです」みたいな話をしていたところでしたよね。

島田 私は2019年の8月に7年間携わってきた千葉ジェッツふなばしの社長を若手に引き継いで会長に就任したので、いろいろと新たな挑戦をしようと計画を立てていたんです。サッカーの他にも、プロバスケットボールチーム「ライジングゼファー福岡」のクラブ経営アドバイザーや全日本テコンドー協会の理事にも就任していて、これからさらに日本のスポーツ業界を盛り上げたいと思っています。

池田 私は横浜DeNAベイスターズの時は雇われ社長で、組織ゆえの苦労をたくさんしてきたので、次にチームの再建に携わるならオーナーシップをりたいとかねてから考えていたんです。そのため、2016年頃からバスケに限らず様々なクラブチームの買収にチャレンジしていて、今回ようやく話がまとまったのが埼玉ブロンコスでした。島田さんと同じBリーグ(国内プロバスケットボールリーグ)とはいえ、一部で優勝争いをしている千葉ジェッツとは異なりまだ三部リーグですので、これから経営を刷新して、どんどん改革をしていくところです。

千葉ジェッツふなばし会長

島田慎二

しまだ・しんじ

昭和45年新潟県生まれ。日本大学法学部卒業後、旅行代理店を経て、平成13年に海外出張専門の旅行会社を設立。21年リロ・ホールディングに全株式を売却し、コンサルティング会社リカオン設立。24年ASPE(現・千葉ジェッツふなばし)社長に就任。15年Bリーグ理事に就任。令和元年より現職。著書に『千葉ジェッツの奇跡』(KADOKAWA)『オフィスのゴミを拾わないといけない理由をあなたは部下にちゃんと説明できるか?』(アスコム)などがある。

経営者を志した原点

島田 飲み会ではあまり真面目な話はしませんから(笑)、きょうは池田さんのこれまでの歩みをじっくりお伺いできればと思います。そもそも経営者を志すようになったのはいつ頃ですか?

池田 高校生頃から社長になりたいと思っていたんですよ。高校1年生までは日本トップクラスの水泳選手で、オリンピックを目指すくらい練習に励んでいたんですけど、腰を痛めてしまい、アスリートとしてプロの世界に進むことは断念せざるを得ませんでした。お山の大将気質があったので(笑)、「何かの一番にならなきゃいけない」と思った時に、スポーツができないのであれば社長になるしかないと漠然と考えるに至ったんです。
大学では商学部に進み、ひと通り経営に必要なことを学んだ結果、マーケティングが好きだと分かり、マーケティングを武器に住友商事、博報堂で働きました。しかし、ご多分に漏れず組織の中では長くはやっていけない性格だったので、2005年28歳の時に独立して、コンサルティング会社・プラスJを立ち上げました。

島田 そうなんですね。私も結構似ていて、経営者を意識したのは高校生の終わり頃でした。
それ以前は俳優になりたくて、オーディションを受けていたんですけど、並行してテレビ番組の司会などで活躍された大橋巨泉きょせんさんの生き方にもあこがれていたんです。早くお金を稼いでセミリタイアし、後半生は悠々自適ゆうゆうじてきな生活をしたいと思った時に、短期間で稼ぐためには俳優業よりも社長業が近道だと気づいてこの道に進みました。だから動機は結構不純です(笑)。
25歳の時に3人の仲間と共に旅行会社を立ち上げ、副社長として仕事をした後、30歳の時に自分で起業して社長になりました。

埼玉ブロンコスオーナー

池田 純

いけだ・じゅん

昭和51年北海道生まれ。早稲田大学商学部卒業後、住友商事、博報堂等を経て平成19年にDeNA入社。執行役員マーケティングコミュニケーション室長から、NTTドコモとDeNAとの合弁会社の社長を務めた。23年にプロ野球界史上最年少の35歳で横浜DeNAベイスターズ初代球団社長に就任。31年さいたまスポーツコミッション会長。令和2年より現職。著書に『空気のつくり方』(幻冬舎)『スポーツビジネスの教科書』(文藝春秋)などがある。