2018年6月号
特集
父と子
インタビュー③
  • 東京女子医科大学教授、心臓外科医新浪博士

自分の背中を見せることが
一番の教育

父・新浪勇治は典型的な昭和の親父だった──。そう語るのは、サントリーHD社長・新浪剛史氏を兄に持ち、心臓外科医として国内で屈指の手術数を誇る、新浪博士氏だ。寡黙で勤勉だったという父の背中から息子は何を学んだのか。思い出に残る親子の触れ合いを振り返っていただきつつ、そこで培われたご自身のルーツについて語っていただいた。

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典型的な昭和の親父

——新浪にいなみさんは心臓外科の分野でトップランナーの一人として実績を挙げられている一方、お兄様の新浪剛史たけしさんも経営の分野で大変な脚光を浴びておられますね。その背景にはご両親の影響がおありではないかと思うのですが、いかがお考えでしょうか。

両親のことに関しては、随分前にNHKの『ファミリーヒストリー』という番組で取り上げていただいたことがありましてね。うちの兄がローソンにいた時に、その兄を育てた「新浪勇治」について番組が組まれたんです。
私もその番組収録時に呼ばれたんですけど、そこにはそれまでまったく知らなかった親父の若い頃の姿がありました。親父は戦地には行っていませんでしたが、たまたま生き残ったと言っていいくらい、数奇な運命を辿たどっていたんです。
そういうところから、僕たち兄弟のような甘ちょろい人間とは違うのかなって思いました。親父はとにかく厳しいんですよ。僕らにとっておふくろも大変厳しい人でしたけど、中学生くらいにもなるとおふくろの言うことなんか聞かなくなるじゃないですか。でも、そのおふくろから、「じゃ、お父さんに言うわよ」って言われると、ドキッとしました。
  
——そのひと言が効くわけですね。

ええ(笑)。親父は寡黙かもくな人で、怒ることも滅多めったにありませんでした。それって、逆に怖いじゃないですか。ある意味、典型的な昭和の親父そのもので、「男は黙ってサッポロビール」ってCMが昔ありましたけど、ひと言で親父を表現すると、まさにそんな感じですね。
それに親父はとにかく勤勉で、一所懸命仕事をして家族を養ってくれていたことは、子供ながらに感じていました。実際に仕事が好きでやっていたかどうかは分かりませんでしたけど、そうだったんじゃないかなと僕は思っているんです。趣味よりも仕事が優先で、仕事が自分の生活において一番大事な部分であるということを、僕は親父の口からではなく、背中から学んだ気がします。

東京女子医科大学教授、心臓外科医

新浪博士

にいなみ・ひろし

昭和37年神奈川県生まれ。群馬大学医学部卒業後、東京女子医科大学大学院修了。アメリカのウェインステート大学、オーストラリアのアルフレッドホスピタル、ロイヤルノースショアホスピタルに留学。帰国後、東京女子医科大学附属第二病院(現・東医療センター)、順天堂大学、埼玉医科大学国際医療センターを経て、平成29年東京女子医科大学心臓血管外科主任教授に就任。著書に『数こそ質なり』(角川書店)がある。