2016年12月号
特集
人を育てる
一人称
  • 田安徳川家第11代当主德川宗英

江田島海軍兵学校

その人間教育に学ぶ

江田島海軍兵学校。それは戦前、リーダーとなる若者らに人間教育を施した全寮制の学校である。世界三大兵学校の一角にその名を連ねた同校では、現代にも通ずる優れた人材教育が行われていた。最後の生徒である徳川宗英氏に、当時を振り返っていただき、同校で実施されていた人育てについて語っていただいた。

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江田島にはよい思い出しかない

私の書斎の本棚に掲げてある言葉があります。

「一、至誠に悖るなかりしか
 一、言行に恥づるなかりしか
 一、氣力に缺くるなかりしか
 一、努力に憾みなかりしか
 一、不精に亘るなかりしか」

これは五省といい、かつて私が学んだ江田島海軍兵学校で、1日の締め括りに暗誦した訓戒です。いまの言葉にすれば、次のようになるでしょう。

(一、不誠実な行動はなかったか
 一、言動に恥ずべき点はなかったか
 一、気力に欠けるところはなかったか
 一、悔いを残さないよう、諦めずに努力をしたか
 一、無精をせず、最後まで物事に取り組んだか)

これらを完璧に実践することは至難の業ですが、少しでもそういう人間に近づこうと内省を繰り返したおかげで今日の自分があることを実感しています。

この貴重な訓戒を与えてくれた江田島海軍兵学校に、私は昭和20年4月10日に第77期生として入校しました。ところがその4か月後に戦争は終わり、私たち第77期生は、江田島海軍兵学校の最後の生徒となったのです。

ともに学んだ仲間とは、つい先日まで毎月のように集まっていましたが、いつも誰かしら口にするのは、「江田島にはよい思い出しかない」ということです。

その一方で、もしあのまま戦争が続いていたら、私たちは特攻隊となって死んでいたであろうことや、戦死された先輩たちのことを考えると、複雑な気持ちになります。戦前の記憶が年々風化しつつあるいま、私たちが江田島について語り続けること、そして、五省に代表される尊い教育を継承していくことが、生き残った者の1つの務めであると私は考えるのです。

田安徳川家第11代当主

德川宗英

とくがわ・むねふさ

昭和4年イギリス生まれ。御三卿・田安徳川家第11代当主。学習院、江田島海軍兵学校を経て、慶應義塾大学工学部卒業。石川島播磨重工業に入社。IHIエンジニアリングオーストラリア社長、関西支社長、石川島タンク建設副社長などを歴任。平成7年に退職後、静岡日伊協会名誉顧問、全国東照宮連合会顧問、一般社団法人霞会館評議員、一般社団法人尚友倶楽部監事を務める。著書に『江田島海軍兵学校』(角川新書)などがある。