2018年12月号
特集
古典力入門
我が人生の古典③
  • 公益財団法人産業雇用安定センター会長矢野弘典

教養ではなく、
実学としての『論語』

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読書百遍意自ずから通ず

私が初めて『論語』を通読したのは、40歳の時でした。中高時代の授業で『論語』を習い興味を持っていたものの、なかなか通読できずに、その頃まで過ごしていたのです。40歳にもなると新卒で入社した東芝では中間管理職に就き、家庭では4児の父として、日々を慌ただしく全力で過ごしていました。そんな中で、日常の些末さまつな出来事に一喜一憂するのではなく、自分の中に軸とでも言うべき、心のり所となるものを切望していたのだと思います。
 
また、年を重ね、立場が上がっていくごとに、自分に注意をしてくれる人が減ってくることを痛感し、かねてから親しみのあった『論語』に答えを求めようと思い立ったのでした。そして、読むからには原文に接しようと、体当たりでのぞんだのです。
 
吉川幸次郎氏の『論語』を買い求め、辞書を片手に一字一句逃さずに、他の解説書を交えながら独学で読み進めたため、通読するまでに半年も要しました。とは言え、夜は仕事や付き合いがあるため、勉強は朝の時間のみ。起床を1時間早め、朝4時から出勤前の1時間半を勉強にてると共に、約1時間半の通勤電車の中も至福の読書時間でした。

「読書百遍意自いおのずから通ず」ということわざにある通り、100回も読めば何かつかめるだろうと思い、繰り返し『論語』を読み進めました。初めは通読に6か月かかったものの、2度目は3か月、慣れた頃には30分で一通り読め、白文で理解できるまでになっていました。
 
しかし、100回読み終えて感じたのは、残念ながら、自分の人間としての未熟さでした。そこで奮起し、さらにもう100回、『論語』を通読することにしたのです。
 
ところが、古典の森は奥が深く、限りがありません。200回読み終え、ようやく「読書百遍意自ずから通ず」の真意を知りました。つまり、人生体験を積むごとに理解度も深まり、本当によい書物を学ぶ道程には終わりがないということです。

公益財団法人産業雇用安定センター会長

矢野弘典

やの・ひろのり

昭和16年東京生まれ。38年東京大学法学部卒業後、東芝入社。平成9年東芝欧州総代表。平成11年日本経営者団体連盟理事、日本経済団体連合会専務理事を経て、18年から22年まで中日本高速道路会長CEO。17年より現職。23年からふじのくにづくり支援センター理事長。著書に『青草も燃える』(中部経済新聞社)等。