2022年3月号
特集
渋沢栄一に学ぶ人間学
  • 渋沢栄一記念財団相談役渋沢雅英

渋沢家を支えた
人々の生き方

渋沢栄一が91年の長い生涯で成した偉業の陰には、明治・大正・昭和と激動の日本を共に駆け抜けた家族の存在があった。栄一の曾孫である雅英氏に、渋沢家を支え続けた人々の生き方を伺うことで、時代を超え現代にも通ずる家族のあり方、繁栄の道が見えてくる(写真:後列中央が父・敬三、右が母・登喜子。前列左から歌子、篤二、栄一、雅英氏、兼子/渋沢史料館所蔵)。

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曾祖父渋沢栄一の背中

昨年は曾祖父そうそふ・渋沢栄一が大変注目を集めた一年でした。渋沢栄一を主人公にしたNHK大河ドラマ「青天をけ」は、ストーリーや台詞せりふを忠実に再現した素晴らしい作品でした。というのも、あの脚本は全68巻、約4万8,000ページにも及ぶ『渋沢栄一伝記資料』をベースにつくられているからです。この伝記は栄一の家督を継承した孫・敬三が「伝記は将来の人の役に立つ資料としてつくるべき」という信念で30年以上の歳月をかけてまとめた大作です。

敬三は渋沢栄一の長男・篤二とくじのもとに誕生した長男で、私は敬三の長男です。栄一が亡くなった時、曾孫ひまごの私は6歳でしたので、直接的な記憶はそれほど多くありません。鮮明に記憶しているのが、栄一の葬儀の時のことです。父・敬三が喪主を務め、飛鳥山の自宅から青山葬儀所まで車で移動した際、長い沿道の両側に大勢の方が並んで見送っている姿を見て、6歳ながら感心しました。そこには栄一を直接知る人だけでなく、一般の市民の方や栄一が創立に携わった学校の学生さんが多く来られ、その数は実に3万人にも上ったと言われています。

もう一つ子供時代の思い出で強く残っているのが中学生の頃、父に「栄一という人はどれくらい偉いのか」と質問した時のことです。父は後に日銀総裁や大蔵大臣など重職を歴任しますが、その頃も既に様々な要職に就いていたので、冗談交じりに「栄一さんと比べてどうですか?」と聞いてみたのです。すると、

「自分とはまったく違う人間で比べ物にならないほど偉い。俺たち近代人は真剣勝負をしたことがないが、栄一は真剣勝負をしてきた人だ」

と答えたのです。父親が全くかなわないほど偉いのかと驚くと同時に、仕事に真剣に打ち込んだ栄一の精神にいたく感動しました。

それからしばらく時が流れ、私が栄一と本当の出逢いを果たしたのは40代で栄一の伝記を書く機会を得たことでした。改めて膨大な資料を探り、91年の生涯を辿たどるにつれて、栄一の成した偉業、志の高さに感慨を深くすることとなったのです。正直で飾らない人柄で、視野や守備範囲が広く、日本と世界を大局的な目で捉えていた栄一。日本人は日本を中心に物事を考えがちですが、栄一は「人類」という大きな視点に立って物事を論じていました。

本欄ではその栄一の長きにわたる生涯を支え、渋沢家を継いだ親族たちの歩みを辿ることで、いま私たちが学ぶべき精神について考えてみたいと思います。

渋沢栄一記念財団相談役

渋沢雅英

しぶさわ・まさひで

大正14年ロンドン生まれ。昭和25年東京大学農学部卒業。39年(財)MRAハウス代表理事に就任。その後、アラスカ大学、ポートランド州立大学で教鞭を執り、平成6年からは東京女学館理事長・館長を務めた。著書に『太平洋にかける橋 渋沢栄一の生涯』(読売新聞社)など多数。