2022年3月号
特集
渋沢栄一に学ぶ人間学
対談
  • 侍ジャパントップチーム監督(左)栗山英樹
  • 公益財団法人郷学研修所・安岡正篤記念館理事長(右)安岡定子
人間力を高める

『論語と算盤』の言葉

渋沢栄一と聞いて、まず『論語と算盤』を思い浮かべる人も多いことだろう。渋沢は経営という視点で『論語』を柔軟に読み解き、近代化の礎を築く上での指針とした。この名著に私たちが学ぶべきは何か。論語塾講師として、幅広い年齢層に『論語』の魅力を伝える安岡定子氏と、この書を野球指導や組織づくりに役立ててきた北海道日本ハムファイターズ前監督で、今回侍ジャパントップチーム監督に就任した栗山英樹氏に語り合っていただいた。

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『論語と算盤』との出合い

栗山 安岡さんのお話を伺えるのを楽しみにしていました。お会いするのは3年ぶりくらいですよね。

安岡 ええ。その節は私がアスリート向けに書いた『論語』の解説書に帯文をお寄せいただき、ありがとうございました。栗山さんが長年『論語』や『論語と算盤そろばん』をお読みになり、選手の皆さんの成長を願って『論語と算盤』をプレゼントされているとお聞きしていましたので、ついついご無理を申し上げてしまって……。

栗山 とんでもありません。東京ドームまでお越しいただき、恐縮しました。僕は安岡さんの本をいつも読ませていただいていますから、きょうも久々にお会いしたという感覚はないんです(笑)。

安岡 私も栗山さんのご活躍、とても嬉しく思っています。これから侍ジャパントップチームの監督として新しいステージに立たれるわけですから、とても期待しています。きょうのテーマは渋沢栄一さんですが、私は『論語と算盤』がいまのように広く知られるようになったのは、栗山さんの功績がとても大きいと思っているんです。

栗山 僕自身はそうなることを意図してやってきたわけではありませんが、日本ハム時代の大谷翔平に読むように勧めたりしたことが、いろいろなところで話題になりましたからね。それで渋沢栄一さんが新しい1万円札の顔や大河ドラマの主人公に決まった時も、多くの人から僕に「おめでとうございます」と祝福をいただき、困惑しながらも「嬉しいです」と(笑)。

安岡 栗山さんは、もともとどういうきっかけで『論語と算盤』を読むようになられたのですか。

『論語と算盤』は大正5年に発刊された©国立国会図書館デジタルコレクション

栗山 まだ日ハムの監督になる前、40代で白鷗はくおう大学の教壇に立つようになった頃だと思います。いろいろなことを学ばないといけないと思って『論語』や『韓非子かんぴし』『孫子そんし』など東洋古典を含め多くの本を乱読していた時、世の中で活躍している人の愛読書が新聞に紹介されていて、『論語と算盤』を挙げていた方が結構いらしたんです。
早速購入して読んでみたら「なるほど」と思うことばかりで、例えば、野球選手で言えばチームは最下位でも自分が活躍すると年俸が上がるんです。年俸が増えて金銭感覚が麻痺まひする例も見てきたものですから、その矛盾を解決するヒントがこの本にあるように感じました。もちろん、自分を律する上で教科書にしていきたいという思いもありました。

安岡 広く古典などを学ばれていたからこそ、『論語と算盤』の言葉がスッと入ってきたのでしょうね。
私の場合、『論語と算盤』との出合いは結構遅くて、10数年前でした。それまでも時々目を通すことはありましたが、私は渋沢さんが『論語』をどのように解釈されているかを知りたくて、『論語講義』のほうを先に読んでいたんです。論語塾を続ける中で、経営者、ビジネスマンの方とお会いする機会も増え、『論語と算盤』から『論語』に入る方がとても多くいらっしゃることが分かって、もう一度きちんと読んでみようと思ったのが、一つのきっかけでした。
実は私の母校・二松學舍にしょうがくしゃ大学と渋沢さんはとても縁が深いんですね。幕末に西欧を視察していた渋沢さんは、やがて西洋の文物が日本になだれ込んでくることを予想していました。その際に強い危機感がありました。これらを受け止められるだけの土台が日本にはあるだろうかと。そこでその土台となる東洋精神が日本に必要だと訴えられる。特に新しいものに流されがちな若者は漢籍を学ぶべきだと考えて、三島みしま中洲ちゅうしゅうと共に二松學舍大学の創設に尽力し、後に3代目学長を務められているんです。経営状況が厳しい時には、度々手を差し伸べられました。
私は祖父(東洋思想家・安岡正篤)のアドバイスもあって二松學舍大学で学んだのですが、渋沢さんがいたからこそ大学が存続できたことを思うと、その偉大さをより強く感じますね。

公益財団法人郷学研修所、安岡正篤記念館理事長

安岡定子

やすおか・さだこ

昭和35年東京都生まれ。二松學舍大学文学部中国文学科卒業。安岡正篤師の令孫。「こども論語塾」の講師として、全国各地で定例講座を開催。『論語』ブームの火付け役といわれる。現在は大人向け講座や企業向けのセミナー、講演などでも幅広く活躍。令和2年より公益財団法人郷学研修所・安岡正篤記念館理事長。著書に『楽しい論語塾』『0歳からの論語』(共に致知出版社)など。

時期の到来を待つのも大切な心懸け

栗山 僕はお祖父さまの安岡正篤先生の本も随分読ませていただきました。先生がなぜあれだけ人々の尊敬を集められたのか、そのオーラがどこから出てくるのか、とても関心があるのですが、間近に接せられてみてどのような方だったのですか。

安岡 家の中ではお祖父さんと孫という関係ですから、何か特別に薫陶くんとうを受けたということはありません。「何歳の頃から『論語』を一緒に素読していたのですか」と聞かれることもありますが、そういうことも一切ないんです。
ただ、学び方、生き方という本質的なところは示してくれたように思います。きょうもお子さんの『論語』のクラスがありました。そこで「人はどうしても花を咲かせたい、葉を繁らせたいと上のほうばかりに目が向く。でも大切なのは目に見えない根っこの部分です」という話をしました。これは祖父がよく話してくれたことなんです。
勉強については、質問すれば書庫に行って本を探すところまではやってくれても「読んで自分で答えを探しなさい」と。解決する方法を自分で見つけられるのが本当の学問で、答えを暗記したり正解を聞いたりすることが学びではないということは繰り返し言っていましたね。
また、幼児教育はまさに人間の根っこであり、子供たちが出会う大人は上質でなくてはいけないとも言っていました。それは教師だから立派でなくてはいけないという意味ではなく、大人たちがよき人物になれば、子供たちがどこで誰に出会ったとしても、皆が手本となれます。反対に相手が子供だからこの程度でいいと手を抜くことは絶対にやってはいけないというのが祖父の強い思いでした。
祖父のこのような教えが特に自分の中でクローズアップされるのは、論語塾講師としていま私に一番必要だからだろうと思います。

栗山 お祖父さまは決して強制するのではなく、指導者という道に行くように自然に仕向けてくださったのかもしれませんね。

安岡 渋沢さんは『論語と算盤』で「人が世の中に処してゆくのには、形勢を観望かんぼうして気長に時期の到来を待つということも、決して忘れてはならぬ心懸である」と述べられていますが、祖父もまた「待つ」ことが普通にできた人だったのだと思います。漢和辞典一つ引くのでも、私ができるまで辛抱しんぼう強く黙って相手をしてくれました。「まだできないのか」「このあいだ言ったじゃないか」という言葉は一度も聞いたことがありません。

栗山 僕が選手たちに『論語と算盤』を配るのは、野球人としての成功はもとより、それ以上に人間としての成功をつかみ取ってほしいと願うからでもあるんです。その意味では待ってあげなくてはいけない立場なのですが、ただ、僕たちプロ野球の世界では何よりも結果が求められるし時間も限られています。『論語と算盤』には「大丈夫、大丈夫」と優しくしている先輩の元ではよき後輩は育たないという話もありますし、厳しさと優しさのバランスを取りながら、いかに人間を育てるかを考えて今日までやってきました。

安岡 そのようにして、厳しい勝負の世界を生き抜いてこられたのですね。

栗山 プロ野球は100人足らずの選手の組織ですけど、バランスという点では球団、チームという大きな目線と、選手やスタッフという小さな目線を常に持っていることが求められるんです。規模はまったく違いますが、渋沢さんも常に天下国家という大きな視点で物事を見つめ、公のために必要と思ったら、誰が何を言おうと水道を整備したり、銀行をつくったり、そのためのお金を集めたりされました。
世の中には反対する人、悪事を働く人がいるのも当然のこととして認めて、これらの大事業を進められた。僕が自分のチームを勝たせることすらできていないのに、渋沢さんになぜそれができたのかを思うと、一体どれだけの大人物なのだろうかと考えてしまいますね。また、そういう無理と思えることを次々と成し遂げていった先輩がいてくださることに僕はとても救われるんです。

安岡 そういえば、祖父も天下国家という言葉をいつも口にしていました。どういう話の流れからその言葉が出てきたのかは忘れましたが、日本という国家をどうするかという目線でずっと生きていた人なのだろうと思います。

栗山 野球の世界に当てはめると、自分を越えた組織というものの大切さが分かれば、選手たちも自分のままを抑えられるようになります。毎年、僕が新人たちに『論語と算盤』を配ることには、そういう視点を養ってほしいという意味も含まれているんです。

侍ジャパントップチーム監督

栗山英樹

くりやま・ひでき

昭和36年東京都生まれ。59年東京学芸大学卒業後、ヤクルトスワローズに入団。平成元年ゴールデン・クラブ賞受賞。翌年現役を引退し野球解説者として活動。16年白?大学助教授に就任。24年から北海道日本ハムファイターズ監督を務め、24年チームをリーグ優勝に導き、28年には日本一に導く。同年正力松太郎賞などを受賞。令和3年退任し、侍ジャパントップチーム監督に就任。著書に『栗山魂』(河出文庫)『育てる力』(宝島社)など。