養父の凶刃に両腕を失うも、悲劇を見事に乗り越え、生涯を身障者の支援に捧げた大石順教尼。口に筆を執り描いた書画は多くの人に愛され、没後50年、生誕130年を迎えたいまなお、記念館への来館者は引きも切らないという。身障者の母と謳われた無手の尼僧を突き動かした内発力の源は何か。順教尼と縁の深い萱野正己氏、大石晶教さん、入江富美子さんに語り合っていただいた。
大石順教尼記念館館長
萱野正己
かやの・まさみ
昭和10年和歌山県生まれ。上場企業の役員を歴任するなど、国内外の経営活動に従事する。引退後、晩年のミッションとして順教尼の遺徳顕彰を志す。萱野家は江戸中期高野山真蔵院の里坊(不動院)として建立され、明治時代までその役目を負った由緒ある建物である。祖父にあたる正之助が、明治の大量殺傷事件「堀江六人斬り」の被害者である大石よね(のちの順教)の出家得度に大変尽力した縁で、萱野家には多くの順教作品が残されている。それゆえ萱野家は「大石順教尼記念館」として一般公開されることとなり、現当主として同館館長を務めながら、旧萱野家保存会会長としても活動中。
大石順教尼かなりや会代表
大石晶教(雅美)
おおいし・しょうきょう
昭和25年京都府生まれ。大石順教尼の長男英彦(慈峰)と孝子(智教)の二女として生まれる。順教尼没の18歳まで現在の仏光院にて生活をともにする。会社勤めを経て、平成20年「大石順教尼かなりや会」を設立。23年高野山本王院にて得度。大学他公共団体での講演活動。毎月21日(命日)に大本山勧修寺境内にある順教尼の庵「可笑庵」を開庵し、伝承活動をしている。漫画本『祖母さまのお手々はだるまのお手々』制作。