2021年8月号
特集
積み重ね 積み重ねても また積み重ね
対談
  • (左)東海大学付属相模高等学校硬式野球部監督門馬敬治
  • (右)東福岡高等学校バレーボール部監督藤元聡一

勝利への執念の積み重ねが
日本一への道を拓いた

春の選抜で優勝し、4度目の全国制覇を果たした東海大学相模高校硬式野球部。春高バレーをはじめ6度の全国優勝を経験した東福岡高校バレーボール部。日本一の常連校は日々、どのような意識で、どのような練習を重ねているのだろうか。それぞれのチームを指揮する門馬敬治、藤元聡一両監督の対談は、トップを極めた人でなくては醸し出せない魂の呼応と熱い気迫を感じさせるものだった。

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「心の耐力」でコロナ禍を克服

藤元 門馬もんま先生ご無沙汰しております。2016年、スポーツ指導者をたたえるジャパンコーチズアワードでご一緒させていただいて以来ですね。

門馬 そうでしたね。僕もよく覚えています。

藤元 その時、招待された様々な競技の名だたる指導者の皆さんの前で、門馬先生が講演されました。そのお話の中で、先生が野球部の寮のすぐ隣の家にお住まいになり、部員たちと半径100メートルの生活を20年間続けられていると聞いて、いたく感心したものです。

門馬 実は最近、古い寮から新しい寮に移ったばかりなんですね。それまで住んでいた家は解体され、僕と嫁と娘も新しい寮に移ったのですが、部員との距離は半径100メートルどころか3メートルくらいに縮まりました。皆、僕の朝ご飯のおかずの味つけまで知っていますよ(笑)。

藤元 それにしても春の選抜大会での全国優勝、本当におめでとうございました。

門馬 ありがとうございます。春の選抜大会の後、県大会、関東大会を終えまして、あと残り1か月で夏の甲子園の県予選が始まるという状況です。コロナで練習には制限がありますけど、いまはその中で感染対策をしながらベストを尽くす以外にありません。
2020年、グラウンドに「心の耐力たいりょく」という横断幕を掲げました。その時はコロナ禍がやってくるなんて考えもしませんでしたが、練習に制限がある分、心を強くしなきゃいけない。こんなにタイムリーにこの言葉が使えるようになるなど考えてもいませんでした。
藤元先生の東福岡高校バレーボール部も1月の春高バレー(バレーボール全日本高校選手権)で見事、優勝されましたね。

藤元 おかげさまで春高バレーでは五大会ぶり三度目の優勝を経験させていただきました。続く5月末に行われたインターハイ県予選も突破し、10期連続、12回目の全国大会へのキップを何とか手に入れたところです。いまは8月に石川県で行われる全国大会に向けて強化練習を進めているんです。
福岡も緊急事態宣言が出て、僕たちの学校も18時半で完全下校となりました。短時間でいかに効率的な練習ができるのか、いろいろな工夫をらしながら頑張っています。門馬先生と同じく指導者も部員たちも「心の耐力」が強く求められている時ですね。

東海大学付属相模高等学校、硬式野球部監督

門馬敬治

もんま・けいじ

昭和44年神奈川県生まれ。東海大学野球部で原貢監督に師事し、卒業後の平成11年、東海大学付属相模高等学校硬式野球部監督に就任。12年就任2年目で選抜高等学校野球大会(春の選抜)優勝。23年春の選抜で2度目の優勝。27年全国高等学校野球選手権大会(夏の甲子園)でチームを45年ぶり優勝へと導いた。令和3年春の選抜で3度目の優勝。家族共々チームを支える。

日常の生活・行動が必ず勝負に出る

藤元 きょう僕は、門馬先生の野球人生や指導法についてじっくりとお聞きしたいと思って楽しみにしてきました。

門馬 よく門馬野球とはどういうものかと聞かれるんですが、実のところ門馬野球など考えたことがないですね。僕がやっているのは師匠である原貢はらみつぐ監督の野球です。僕は親しみを込めて「おやじさん」と言っていますけど、僕が追い求めてきたのは原貢野球そのものなんです。

藤元 原貢監督といえば、読売ジャイアンツ・原辰徳監督のお父様で、福岡とも縁のある方ですね。50年以上前、当時無名だった大牟田おおむたの三池工業高校野球部の監督として夏の甲子園優勝に導かれたことでも知られています。

監督室に飾られた原貢氏の写真と共に

門馬 ええ。おやじさんのその指導ぶりが東海大学の創設者の松前重義総長(当時)の目に留まって東海大相模さがみの監督に就任され、甲子園の常連校にされるんですね。おやじさんの存在抜きにいまの東海大相模はありません。
僕自身も東海大相模の出身で、野球部主将を務めさせていただきましたが、その頃、おやじさんは東海大学系列校すべての総監督をされていましたから、監督として直接指導を受ける機会はありませんでした。監督として指導を受けるようになったのは東海大学に進み野球部に入ってからです。この頃、おやじさんは50代になられたばかりでした。2014年に78歳で亡くなるまで、ずっとお世話になってきたんです。
僕は大学時代、椎間板ついかんばんヘルニアで5回入院し、まったく野球ができる状態ではありませんでした。在籍中に監督が3人替わり、おやじさんは3人目の監督でしたが、どういうわけか何もできない僕に「指導者にならないか」と言ってくださったんです。最初はマネジャーとして、おやじさんにべったりとくっついて回り、それからコーチを経験して監督になって、という流れです。

藤元 やはり門馬先生の指導者としての資質を見抜いておられたのでしょうね。

門馬 野球の指導者として携わるのであれば、生徒たちの学校での生活も見るべきだと言って教師になることを勧められたのもおやじさんでした。遅ればせながら教職課程を履修りしゅうし、社会科の教職免許を取りました。おやじさんのひと言がなかったら、僕は教師にはなっていなかったと思います。

藤元 その頃、原監督にどういうことを教わったのですか。

門馬 野球は人間がやるスポーツだから、人間のそのままが出るということを常に言われました。特に自分が厳しくなったら本当の人間のが出ると。マネジャーをやっていた頃は、グラウンドに出て行く選手を見ながら食器を洗ったり洗濯物を干したりしている自分がみじめに思え、辞めることも考えましたから、この言葉はとても心にみましたね。
それに野球は技術がなければ勝つことはできないが、最後は人間のあり方だということもよく教えられました。バレーボールも野球も一発勝負じゃないですか。ここで負けたらもう後はないという時に、おそらく技術を上回る心の部分がものすごく大きなウエイトを占めてくると思うんです。

藤元 全く同感です。全国大会優勝までの道程では土壇場という局面が何度も出てきます。僕のいままでの経験上、その土壇場で力を発揮し成功するかしないかは、技術ではなく、その選手の人間性が大きく影響することは確かですね。
それまで決定率が5割を超えて活躍していた選手が土壇場になると決められない、逆にそれまで1、2割の決定率しかなかった選手が土壇場では、なぜか7割を超えることが実際にあるんです。ですから僕は、日頃から「自分たちの生活・行動が必ず勝負に出る、バレーの神様は、その人間性を常に見ている」と言っています。

東福岡高等学校、バレーボール部監督

藤元聡一

ふじもと・そういち

昭和50年山口県生まれ。法政大学を卒業後、平成14年東福岡高等学校バレーボール部コーチに就任。18年監督となり、20年インターハイで初の全国大会出場。翌21年も2年連続の3位入賞を果たし、春高バレー出場2度目でチームを準優勝に導く。27年第67回春高バレーで初優勝と同時にインターハイ、国体の全国3冠を達成する。翌28年第68回春高バレー、国体で共に2連覇し2冠。令和3年1月の春高バレーで3度目の優勝。