2021年8月号
特集
積み重ね 積み重ねても また積み重ね
対談
  • (左)臨済宗円覚寺派管長横田南嶺
  • (右)ハガキ道伝道者坂田道信
寺田一清氏を偲ぶ

現下の仕事に祈りをこめて

『致知』でもお馴染みの寺田一清氏が、去る3月31日、数え95歳でお亡くなりになった。国民教育の師父と謳われた森信三哲学の実践者、伝道者として多くの人にその尊い教えを知らしめた功績は計り知れない。寺田氏が生涯を通じて積み重ねたものは何だったのか。寺田氏と親交の深いお二人、ハガキ道伝道者の坂田道信氏と円覚寺の横田南嶺管長に、寺田氏の思い出を交えて語り合っていただいた(写真:森信三先生が揮毫された掛け軸「一すじの道をあゆみて留まらず 命の限りつらぬかむとす」)。

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    弟子は師の年齢だけでも超えなければならない

    坂田 横田先生には、『致知』の連載で毎月お目にかかっていますが、私のように学問がなくても分かる文章を書いてくださるから、ありがたいなぁと思っているんですよ。

    横田 恐縮です。私の文章は難しいとよく言われておりまして(笑)。

    坂田 いや、文章の中によく坂村真民しんみんさんの詩を引用しておられますね。真民さんは、子供でも分かるような詩を書かれたでしょう。だからすぐ理解できたつもりになるけれども、次に読んだ時にはもっと深い意図があることに気づくんです。横田先生の文章にもそういうところがあるんだなぁ。
    それから、毎回文章と一緒に書を載せておられるでしょ。よくあんないい字が書けるなぁと思うてね。一所懸命に書かれとるのが伝わってくるんですよ。

    横田 ありがとうございます。書を頼まれたらだいたい一発で書くんですが、『致知』の連載の時だけは何枚か書いて、どれがよいかと慎重に選んで載せていただいているんです。

    坂田 案外初めに書いたものがええでしょう? 2番目、3番目というのは大概いいものを書こうという心が働いて下手になる。最初に書いたものには、真剣さが一番大きく詰まっとるんじゃないかと思うんですが。

    横田 おっしゃる通りです。何枚書いても、結局最初のほうがいいなということがよくあります(笑)。

    坂田 とにかく、こんな立派な方がよく『致知』に出てくださったなぁと感謝しながら、毎月楽しみに読ませていただいております。

    横田 それは逆です。こんな私をよく『致知』に出していただいたなぁと(笑)。
    その『致知』とご縁を結んでくださった恩人が、先日お亡くなりになった寺田一清いっせい先生でした。
    数年前に岡山に居を移されてからはお目にかかっていませんが、元気になさっているとお嬢様から伺っておりましたので、お亡くなりになったと知った時にはびっくりいたしました。2021年の3月31日、享年95でございました。
    生涯の師と思い定めておられた教育者の森信三のぶぞう先生が97歳で亡くなったことを念頭に、「弟子たる者は、師の年齢だけでも超えなければならない」と、最晩年まで全国を飛び回ってその教えの普及に尽力なさっていましたね。

    坂田 私は亡くなって初めて気がついたんですよ、寺田さんのすごさが。一緒におる時には、普通のおっさんなんだよね。全然偉そうにせんのですよ。
    だけれども寺田さんは、森信三先生という日本の宝物のような教育者の教えを、たくさんの人に伝える役割を果たしました。
    もともと大阪の岸和田で呉服商を営んでいて、教育とは何の関係もなかったんですが、38歳の時に恩師の勧めで森先生の全集を買い求めたのが縁で、先生と面会することになったんです。寺田さんは、初めて会った時の森先生のお話に感動して、この人こそ生涯の師と思い定め、森先生と歴史上ないような関係を築いていったんですよ。

    横田 本当に掛け替えのない師弟関係を築かれましたね。

    坂田 私も寺田さんのおかげで森先生の教えが深く理解できるようになったんです。
    私は田舎の百姓ですから、学問に用はありませんでした。その代わりに親はね、生きることを教えてくれたんです。大雪の山の中をどうしたらマッチ一本で生きられるか、大雨の中でどうやったら火をけるか、どんなことが起こっても命だけは存続することを教えてくれました。
    そんな私が寺田さんに出会い、森先生の教えに出合って、学問に出合えたんですよ。森先生に会っただけなら、いまの私はないんです。幸運にも寺田さんが森先生のことをいろいろ教えてくれたから、学問はこんなに楽しいものだということを理解できた。だから寺田さんは大変な恩人なんです。

    ハガキ道伝道者

    坂田道信

    さかた・みちのぶ

    昭和15年広島県生まれ。県立向原高校を卒業し、農業の傍ら大工見習いとなる。46年森信三先生と出会い複写ハガキを始める。ハガキによるネットワークを確立し、講演などで全国を飛び回る一方、食への関心を深め、自宅を開放した半断食、坐禅断食の会や料理教室を開催。著書に『ハガキ道に生きる』『この道を行く』(共に致知出版社)などがある。

    損得抜きで人の世話をしてくれる人

    横田 寺田先生とのご縁の始まりはいつですか。

    坂田 昭和44年の夏、私が29歳の時でした。松山で「実践人」という森先生に学ぶ研修会があって、その時に坂村真民さん、教育者の徳永康起やすき先生と一緒に、自然農法の大家の福岡正信さんが講師を務められて、私はその話を聴くために参加したんです。
    ところがその実践人というのは森先生の会だから、周りは教師ばっかりでね。寺田さんも私も教師じゃなかったから、特別に仲よくしてもらうようになったんです。
    あの頃の私は1,000円のお金も都合がつかんようなどん底の時代だったけど、寺田さんも大変な時期でした。岸和田で一番古い呉服商を営んでおられたんですが、奥さんと別れて、大番頭だった奥さんの弟について20数人の従業員が全部辞めてしまい、倒産するんじゃないかと言われておったんです。寺田さんは、そんな大変な時に出会った私と嫌な顔もせずに付き合ってくれて、いろいろ教えてくださいました。

    横田 そういう出会いでございましたか。

    坂田 私がお金のない時代に寺田さんの家に伺うでしょう。そうしたらちょっと待つように言ってフラッと出て行くんですよ。そうしてシャツやら何やらいろいろ買うてきて「これに着替えたらいいよ」と。寺田さんという人は損得抜きで人の世話をしてくれる人でした。

    臨済宗円覚寺派管長

    横田南嶺

    よこた・なんれい

    昭和39年和歌山県新宮市生まれ。62年筑波大学卒業。在学中に出家得度し、卒業と同時に京都建仁寺僧堂で修行。平成3年円覚寺僧堂で修行。11年円覚寺僧堂師家。22年臨済宗円覚寺派管長に就任。29年12月花園大学総長に就任。著書に『人生を照らす禅の言葉』『禅が教える人生の大道』『命ある限り歩き続ける』(五木寛之氏との共著)など多数。最新刊に『十牛図に学ぶ』(いずれも致知出版社)。