2018年2月号
特集
活機かっき応変おうへん
対談
  • 愛知専門尼僧堂堂頭青山俊董
  • 日蓮宗一華庵、サンガ天城庵主戸澤宗充

仏法の灯を点し続けて

幼少期より仏道を歩み続けて80年。現在曹洞宗の師家会会長を務める青山俊董師。46歳で出家し、日蓮宗の布教師として悩める市井の人々に手を差し伸べてきた戸澤宗充師。異なる立場で仏法の灯を点し続けてきた尼僧二人に、各々の経験を交えながら、人生の試練を乗り越える心構えを説いていただいた。

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素晴らしい仏法を決して衰えさせてはならない

青山 きょうは遠いところをお訪ねくださって。ちょうどお土産のお菓子がございますから、まずは一服なさってください。

戸澤 ありがとうございます。どちらかへお出掛けでしたか。

青山 博多の明光寺というところに、野村望東尼ぼうとうにという方のお墓がございましてね。この方は幕末の志士から母親のように慕われた方ですが、2017年が150回忌だというので、雲水を12人ほど連れて法要の導師を務めてまいりました。そのついでに鹿児島へ飛んで知覧でも法要を務め、鑑真がんじん和上の記念館を訪ね、ここへ戻って摂心せっしんをして、すぐ翌日に奥州へ行って、ゆうべ戻って来たところなんです(笑)。

戸澤 まぁ、お元気なことですね。

青山 もういい年になりましたから、気持ちと体がついてきませんでね。皆に助けていただきながら辛うじて動いております(笑)。
この愛知専門尼僧にそう堂は24時間態勢の修行道場ですから、本当はあちこち歩き回っていては落第です。けれどもついつい断り切れずに、九州から北海道まで出向くことになって、来年2018年の暮れ頃まで1日の空きもないんです(笑)。下手な歌ですけれども、いまの私の願いをいくつか詠んでみました。

「かしこみて伝えまつらん後の世に君が掲げしのりの灯火」
「いま少しいま少し高く掲げばや君が掲げし法の灯火」

戸澤 思いのあふれた素晴らしい歌ですね。

青山 お釈迦様が命を懸けて説いてくださった天地宇宙の真理を、そして今日まで2500年、先師方が命懸けの人格相伝で私どもの手元までお届けくださった教えを、いま私どもがどう生きるかでダメにもすれば生かしもする。
残念ながらいまの日本の仏教は、相当ダメになっていますね。本来なら捨て身で求道して師匠から弟子へと相続されるべきところが、親子相続になってしまって、やむを得ず職業にしてしまっている。甘やかされた骨なしが多いために、本来の仏教の姿からはるかに遠いものになっている。これでは相すまんと思うのですよ。人数は少なくてもいいから、本気の者を1人でも2人でもつくっていかなければならんと。

戸澤 本当におっしゃるとおりだと思います。
私もテレビなどでよく取材を受けますけれども、「なぜ私なんですか? 他に有名なお寺がたくさんあるでしょうに」と尋ねると、取材をなさる方は十中八九「お坊さんの姿が見えないのです」とおっしゃるんです。あなたは社会で苦しんでいる人に手を差し伸べ、とても分かりやすい法の伝え方をしているから、取材したいのだと。
世間からお寺の中が見えず、お坊さんが何をやっているのかが分からない。それがいまの仏教界を物語っているんじゃないかと私は思っています。

青山 私ももう85になるものですから、遺言と思って聞いてくれと若い雲水やお寺の寺族じぞくに言うんです。歴代の祖師そし方が命懸けで伝えてくださった法の灯火を、曲げてもならん、細めてもならんという誓願でやっていこうじゃないかと。
ありがたいことに、そうすると打てば響く者がおりましてね。先日、佐賀の曹洞宗そうとうしゅう青年会でお受戒じゅかいをした時に、あるご住職が問答に立たれて、「10年前に本山にいる頃、青山先生から『宗教は職業ではない』というひと言を頂戴して今日に至りました」とおっしゃったんです。嬉しかったですね。
引導いんどうは死んでから渡すものではありません。たった一つの命を最高に生きるべく引き導くのが引導です。お経も死んでから上げるものではない。生きているいま、ここで、己の足元をしっかり見つめ、悔いなく生きるために説かれたのがお経です。自分の人生を棚に上げて、向こうを向いて読むものではない。たった一度のやり直しのできない人生を間違えることなく生演奏するための楽譜なのです。
2500年にもわたって相続していただいたこの素晴らしい仏法を、決して衰えさせてしまってはならんのですよ。

愛知専門尼僧堂堂頭

青山俊董

あおやま・しゅんどう

昭和8年愛知県生まれ。5歳の時、長野県の曹洞宗無量寺に入門。駒澤大学仏教学部、同大学院修了。51年より愛知専門尼僧堂堂頭。参禅指導、講演、執筆のほか、茶道、華道の教授としても禅の普及に努めている。平成16年女性では2人目の仏教伝道功労賞を受賞。21年曹洞宗の僧階「大教師」に尼僧として初めて就任。著書に『一度きりの人生だから』(海竜社)『泥があるから、花は咲く』(幻冬舎)など。

年金を投じて始めた現代の駆け込み寺

戸澤 こちらの尼僧堂では、いま何人くらいの方が修行をなさっているのですか。

青山 18人です。私はここの堂場で50年以上務めておりまして、1番多い時は100名以上おりましたが、だいたいは20人前後で。

戸澤 皆さん、お寺のお嬢さんたちですか。

青山 半分は一般の方々です。年齢も20代はじめから50代、60代まで幅がありますし、学歴も社会歴もいろいろです。もう一度、人生を見直したいとか、海外で仏教なり禅を学んだので実際に体験したいとか、いろんな人がやって来ます。
女が頭をるっていうのはいいですわね。それなりの覚悟がありますから、親子相続でやむを得ず修行している男のお坊さんのような問題は起きません。
ただ、中には世間から逃げて駆け込んでくる者もおります。最後の落ち着き場所と思い定めて来るならいいけれども、逃げてきた場合は、結局ここからも逃げて行くことになる。そのへんが難しゅうございますね。あなたも駆け込み寺をやっていらっしゃるから、よくお分かりでしょう。

戸澤 そうなんです。私の所にも「苦しくて、出家を望んでいます」という女性がたくさんやって来るんですけど、「出家は逃げ場ではないのよ」といつも言って聞かせるんです。

青山 そちらでは、どのくらいの方を受け入れてこられたのですか。

戸澤 15年ほどやっておりますけれども、これまでに700名近い女性を保護して、自立のお手伝いをしてまいりました。

青山 あぁ、700人。随分ご苦労なさったことでしょうが、よくぞ思い立たれましたね。

戸澤 私は先生と違って、俗の世界から46歳で出家いたしました。出家者としてどう生きたらいいのかという時に、私は日蓮宗でございますので、祖師日蓮がいま、この現代の状況をご覧になったら何をなさっただろうかと随分考えました。世間を見ますと苦しんでいる方がたくさんいらっしゃる。それならばただ寺にいるのではなく、外へ出ようと。街へ出て法を伝えようと考えまして、在家のまま出家者として生きる道を選びました。
しばらくして、平成13年にDV防止法という法律ができ、夫や恋人から暴力を受け、逃げ場を探している女性がいかに多いかということに気がつきましてね。ならば現代の駆け込み寺を建てて、その人たちを保護し、導いて、自立のお手伝いをして差し上げようと。ちょうど65で年金がおり始めましたから、それはもらわないものと思って10年のローンを組みまして、平成15年に伊豆の山奥に「サンガ天城あまぎ」を建てたんです。

日蓮宗一華庵、サンガ天城庵主

戸澤宗充

とざわ・そうじゅう

昭和12年東京生まれ。33歳の時、2児を残し夫が事故で急逝したことから『法華経』と出合い、46歳で出家。平成15年65歳で私財を擲ち、女性たちの駆け込み寺「サンガ天城」を設立。さらに26年には居酒屋「地獄に佛」の営業も手掛け、様々な問題で悩み苦しむ人々を受け入れ、導いてきた。著書に『あなたが生きている理由』(家の光協会)『すべてを喜びとする。』(幻冬舎)『一人で悩まないで!』(佼成社)がある。