1300年の歴史を持つ奈良・薬師寺。管主・村上太胤師は9歳で薬師寺に入り、橋本凝胤師の厳格な指導の下、僧としての精神的骨格をつくりあげた。宮大工の小川三夫氏もまた「最後の宮大工棟梁」と称された西岡常一氏に弟子入り、宮大工の道を極めた人物である。ともに修行で自らを磨き、この道一筋に歩んできたお2人が摑んだ人生の要諦はどういうものなのだろうか。
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法相宗大本山薬師寺管主
村上太胤
むらかみ・たいいん
昭和22年岐阜県生まれ。31年9歳で薬師寺に入山。43年龍谷大学文学部仏教学科卒業、薬師寺執事、副執事長、執事長、副住職を歴任し平成28年管主に就任。薬師寺岐阜別院住職、薬師寺まほろば塾塾長も歴任。著書に『仏法の種まき』『かたよらない こだわらない とらわれない——般若心経の心』(講談社)など。
厳格なことで有名だった橋本凝胤師©薬師寺
鵤工舎舎主
小川三夫
おがわ・みつお
昭和22年栃木県生まれ。栃木県立氏家高校卒業直後に西岡常一棟梁の門を叩くが断られる。仏壇屋などでの修業を経て44年に西岡棟梁の内弟子となる。法輪寺三重塔、薬師寺金堂、同西塔の再建に副棟梁として活躍。52年鵤工舎を設立。以後、今日まで全国各地の寺院の修理、再建、新築などを続ける。著書に『木のいのち木のこころ(天・地・人)』(新潮文庫)『棟梁——技を伝え、人を育てる』(文春文庫)など。