無名だった古川商業高校女子バレーボール部を12回全国制覇へと導き、その名を全国に轟かせた元監督の国分秀男氏。片や仙台高校に続いて明成高校男子バスケットボール部を全国屈指の強豪に育て上げたヘッドコーチの佐藤久夫氏。ともに日本一の偉業を成し遂げた背景にはどのような指導方法があったのだろうか。心に重点を置いた独自のスタイルを確立してきた2人に、その闘魂の人生を振り返っていただいた。
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東北福祉大学特任教授、古川商業高等学校女子バレーボール部元監督
国分秀男
こくぶん・ひでお
昭和19年福島県生まれ。慶應義塾大学卒業後、京浜女子商業高等学校(現・白鵬女子高校)を経て、48年宮城県の古川商業高等学校(現・古川学園高校)に奉職。商業科で教鞭を執る傍ら、女子バレーボール部を指導。県大会以上の優勝150回。全国大会出場77回、うち全国制覇12回。平成11年には史上5人目の3冠(春、夏、国体)の監督となる。8年から11年までには春、夏ともに4年連続決勝進出という高校バレー史上初の快挙を成し遂げる。16年から東北福祉大学特任教授。著書に『夢を見て 夢を追いかけ 夢を食う』(日本文化出版)がある。
明成高等学校男子バスケットボール部ヘッドコーチ
佐藤久夫
さとう・ひさお
昭和24年宮城県生まれ。日本体育大学卒業後、教員として宮城県内公立高校で女子バスケットボール部を11年指導。泉松陵高校で男子を3年指導した後、母校・仙台高校へ赴任。16年間の在任中は常に全国トップクラスの成績を維持し、ウインターカップ優勝2回など数々の好成績を収める。退職後、日本バスケットボール協会強化本部選任コーチ。ヤングメン日本代表コーチ、ユニバーシアードヘッドコーチ、日本代表コーチを歴任。現在、明成高校男子バスケットボール部ヘッドコーチ、仙台大学体育学部准教授。著書に『普通の子たちが日本一になった』(日本文化出版)がある。