2019年3月号
特集
志ある者、事竟ことついに成る
インタビュー③
  • 旭化成名誉フェロー吉野 彰

新しき研究開発は
志と強い信念によって成る

携帯電話をはじめ、ノートパソコン、デジタルカメラなど幅広い電子機器の小型化に寄与し、いまもモバイルIT社会を支え続けるリチウムイオン電池(充電式電池)。その生みの親が旭化成名誉フェローの吉野 彰氏である。氏はいかにして、商品化が困難とされてきた充電式電池の研究開発を成功へと導いたのか。その弛みない研鑽の歩みを振り返っていただいた。

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平均年齢36.8歳

――昨年には日本国際賞を受賞されるなど、吉野先生が開発されたリチウムイオン電池に対する評価は年々高まっていますね。

ありがとうございます。リチウムイオン電池の開発は、簡単に言えば電池を小型軽量化したわけですが、様々な小型携帯電子機器が主体となったモバイルIT社会を実現した、という側面もあるんですよ。
もちろん、リチウムイオン電池の力だけでそうなったわけではありませんが、ある意味「世界を変えた」と言えるくらいの研究開発にたずさわれたというのはとても幸運なことだったと思っています。

――いまや世界中の人々がその恩恵を受けていますね。

それに加えて、リチウムイオン電池には、近年、新しいミッションが与えられているんですよ。それが電気自動車のバッテリーで、究極的には地球環境問題に対する一つの解決策を出すことが期待されています。
普通、新しい製品なり商品というのは、10年、15年も経つとその役割を終えるというのがパターンとしてある中で、次の展開が見えてきたという意味では幸せな製品だと思いますね。

――そういった潜在的な力は、研究開発過程ではどの程度見通せていたのでしょうか。

そもそも、リチウムイオン電池の研究が始まった1981年には、いまのモバイルIT社会なんてまだ誰も想像すらしていませんでした。いろいろな電子機器がポータブル化されていくであろうという一つの大きな流れがあったのは事実ですが、当時我々が需要を見込んでいたのはあくまで8ミリビデオカメラ単体のマーケットだったんですよ。
それだけでもかなり大きなマーケットでしたが、その後、今日のような世界規模の大きなリチウムイオン電池のマーケットが生まれるなんてことは、当時は予想すらしていませんでした。

――日本発の世界的な開発なだけに、今後の展開も楽しみですね。

おかげさまで会社からは70歳を機に名誉フェローとして遇していただいたので、いまも研究開発に関わるとともに、最近は大学での講義の他、高校での特別授業などもやっています。
やっぱりこれからは若い人たちに頑張ってほしいですね。特に科学技術の分野では日本の未来を危ぶむ声が多く聞かれますけど、新しい研究者が結構出てきているところもあるんですよ。
「実るほどこうべれる稲穂かな」という言葉があるでしょう。これは年と共に腰を低くして謙虚になりなさいという意味ですが、僕はその意味を逆手に取って、実る前から頭を垂れたらいかん、と若い人たちに言うんです。真夏の一番伸び盛りの時に頭を垂れていたらダメだからね(笑)。

――ユニークな解釈ですね。

それに歴代のノーベル化学賞を受賞された方々が受賞した研究を始めた年齢を平均すると、36.8歳なんだそうです。これは僕もリチウムイオン電池の研究を始めたのが33歳だったこともあって、すごくよく分かる気がするんですよ。
というのも、20代は世の中のことはもちろん、仕事の進め方もまだよく分からない。ところが30代になると世の中の仕組みがだんだん見えてきて、知恵もついてくる。ある程度権限も与えられるようになることも大きいでしょう。それにたとえ失敗しても、まだもう一回くらいは挑戦できるという余裕もある。

ところが40代に入ると、万が一失敗したら「俺の一生は終わりだ」というプレッシャーが出てくるものだから、どうしても無難な研究テーマを選んでしまう。これは企業だけでなく、アカデミアの世界でも一緒だと思います。
それだけに、チャレンジ精神を大いに生かすという意味でも若い頃というのはとても大事なので、僕自身もそうでしたが、おとなしく頭を垂れている暇なんてないんですよ(笑)。

旭化成名誉フェロー

吉野 彰

よしの・あきら

昭和23年大阪府生まれ。47年京都大学工学研究科石油化学専攻修了後、旭化成工業(現・旭化成)に入社。60年リチウムイオン電池の基本概念を発表する。平成29年から現職。名城大学大学院理工学研究科教授。日本国際賞をはじめ、これまでに数々の賞を受賞。