2019年7月号
特集
命は吾より作す
対談
  • (左)作家神渡良平
  • (右)認定NPO法人国際地雷処理・地域復興支援の会理事長高山良二

カンボジアの地雷撤去に
我が後半生を懸けて

かつて戦争の舞台となり国土を蹂躙されたカンボジア。戦闘時に埋設された地雷はいまなお約400万~600万個も残存し、現地の人々の命を脅かし続けている。この状況を憂慮し、17年にもわたり現地で地雷撤去活動に邁進してきたのが、元自衛官の高山良二氏である。高山氏をこの活動に駆り立てるものは何か。弊社新刊『いのちの讃歌』で氏の活動を紹介した作家の神渡良平氏とともに、一人の日本人の運命を大きく変えたこの尊い活動について語り合っていただいた。

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    あまり便利にするのはよくない

    高山 神渡さんには、新しいご著書(『いのちの讃歌さんか』/致知出版社)に私の活動を紹介していただきまして、本当にありがとうございました。

    神渡 いえいえ、心を打つ話を取材させていただきありがとうございました。「カンボジアで地雷撤去活動をなさっている素晴らしい人物がいるので、ぜひ会ってみてください」と紹介されたのが、高山さんとのご縁の始まりでした。
    お目にかかってお話を伺い、いたく感動したので、すぐに横浜でやっている勉強会でお話しいただきました。するとすごい反響だったので、今年2月、19名で現地を訪問した次第でした。

    高山 神渡さんの行動力は素晴らしいですね。私は行動力だけが取り柄ですが、なかなか神渡さんのようにはいきません。亥年いどし生まれだから、森の石松みたいにいつも考えないで突っ走ってしまいます(笑)。
    神渡さんたちがあのカンボジアの片田舎まで来てくださったのにはびっくりしました。皆さん50代から80代の方々でしょう。

    2019年2月にカンボジアを訪れた神渡氏(右)とともに

    神渡 ぜひ高山さんの活動を見たいとおっしゃるので伺いました。 現地を訪れてまず驚いたことは、あのシャワーです。向こうは真冬でも気温は30度はあるので、一日行動すると汗びっしょり。それでシャワーを使おうとしたら、ペットボトルに穴を開けたものを使っていらっしゃる!
    高山さんがおっしゃるには、皆さんから寄せられた浄財じょうざいで地雷撤去活動を行っているので、自分たちの私的なことに使うわけにはいきませんと、あえて現地の方と同じレベルの生活をなさっていました。いやぁ、この方はすごいなぁと驚きました。地雷撤去活動もすごいですが、あのペットボトルのシャワーには心を動かされました。

    高山 11月を過ぎるとみ置きした水ではかなり冷たくなるので、幾分いくぶん温かい井戸水を浴びられるように工夫したんです。皆さんから「ペットボトル・シャワー」と呼ばれて喜ばれているんです(笑)。
    トイレもしゃがんでやる方式のものをずっと使っていましたが、「お金を出しますから」と言ってくださる方がいて、最近一つだけ洋式に変えました。あまり便利にしたら、日本で生活するのと変わらなくなりますから。

    認定NPO法人国際地雷処理・地域復興支援の会理事長

    高山良二

    たかやま・りょうじ

    昭和22年生まれ。愛媛県出身。地雷処理専門家。41年陸上自衛隊に入隊。平成4年カンボジアPKOに参加。14年陸上自衛隊を定年退官と同時に日本のNGOの一員としてカンボジアに赴き活動。23年NPO法人国際地雷処理・地域復興支援の会(IMCCD)を設立、タイ国境に隣接するカンボジア北西部で活動。著書に『地雷処理という仕事』(筑摩書房)がある。

    8人目の犠牲者は絶対に出さない

    神渡 それから、何と言っても印象に残ったのが、あの慰霊塔いれいとうです。地雷撤去活動中に爆死された現地人7名の方々のためにお建てになったものです。高山さんはその前で、「8人目の犠牲者は絶対に出しません。万一8人目をまつることになるとすれば、それは私自身です。ここで精いっぱいお役に立って、最後は煙のように消えていきたい」とおっしゃっていました。私は高山さんのそういう姿勢にとても心を打たれました。

    高山 あの事故のことは一番伝えていかなければならないことです。もう10年以上も経つのに、あのことになると胸が詰まってしまい、なかなか上手く話せません……。
    事故の分析はいろいろできるんですが、そんなのはどうでもええことでね。あの事故は100%私の責任です。地雷撤去を長く続けていると、ヘルメットをかぶるのがつい面倒くさくなったり、モチベーションとかがいろいろ落ちてきます。

    それで私自身、いまから考えたらまったく信じられないような判断をしてしまったんです。カンボジアで地雷撤去活動を始めた時、現地人を募集したら約100人も集まり、上手く立ち上がりました。それで有頂天うちょうてんになってしまって、半年経った頃、ちょっと日本へ帰って一服しようと思ったんです。
    その判断がもうダメです。半年くらいで現場を離れてはならんのです、絶対に。もちろん私が留守の間、現場に専門家を張りつけてはいたんですが、100人の素人の地雷撤去隊員を見放したわけです。そしたら、その翌日にドーンとやられ、神様にどえらく怒られました。いや、怒られたじゃすまんですよね、7人も殺しとるんですから。

    神渡 相当大きな事故だったのですね。

    高山 私はすぐにプノンペン空港から車で12時間かけてとって返し、現場に駆けつけました。現場に空いた穴は、深さ1メートル半、直径5メートルもありました。私の見立てでは、対戦車地雷が8個くらい埋まっていたようです。その上に設置されていた、敏感な対人地雷に気づかずに触れて誘爆ゆうばくしたわけです。
    その晩はとても眠れませんでした。朝になって7軒のお葬式に参列すると、ちゃんと遺体が見つかったのは2人だけでした……。
    活動は2か月ストップして、事故のトラウマで夜も眠れなくなった隊員の家に、毎日毎日通いました。私自身も頭が狂うくらい思い詰めました。その後も次々といろいろなことがあり、そこで立ち止まっているわけにはいきませんでした。何もしていなかったら、完全に頭がイカれていたはずです。対策で超多忙だったのでいくらか気がまぎれました。

    そこまでの思いがあってあの慰霊塔を建てたんです。日本の代表者は、あまり余計なことをしてくれるなと言いました。あの時私は、電話がぶっ壊れるくらい大声を張り上げて喧嘩けんかしました。
    要するにその代表者は日本に責任を負わされるのを心配しており、自分のことしか考えていない。いまの日本を表しており、日本民族もそこまで落ちたかと思って、本当に悲しかった。

    神渡 日本に帰ってその慰霊塔のお話をしたら、その慰霊塔にぜひ仏教詩人の坂村真民しんみんさんの「念ずれば花ひらく」のお地蔵さんを持って行ってほしいという要望がありました。今度伺う時、持って行きたいと思っています。

    高山 ありがとうございます。年間150人くらいの日本人の方が現地を訪ねて来られますが、慰霊塔だけは欠かさず案内するようにしています。そこで我われ日本人が本来持っていた価値観を、もう1回取り戻してもらいたいんです。

    神渡 私はあの慰霊塔のことを思うと、『ビルマの竪琴たてごと』を連想するんです。戦争が終わって引き揚げる時、水島上等兵は戦場に遺棄されたままの戦友たちの屍を弔わなければならないと、独り残りました。戦友たちが泣く泣く「お~い、水島! 一緒に帰ろう!」と叫んだ時、水島上等兵は竪琴を取って『仰げば尊し』を弾いて去っていきました。
    私はあの思いが高山さんの中にあるのではないかと思うんです。

    高山 ……。

    神渡 『ビルマの竪琴』にはもう一つ〝和解〟という重要なモチーフがあります。水島上等兵たちの部隊が終戦を知らず追い詰められ全滅しそうになった時、『埴生はにゅうの宿』を歌い出しました。
    するとそれにつられてイギリス兵が「どんなに貧しくても、わが家に優る家はない……」と歌い出しました。あの歌はもともとスコットランドの曲で、それが日英両軍を広場に引き出して和解させました。あの慰霊塔は〝和解のシンボル〟でもあります。

    作家

    神渡良平

    かみわたり・りょうへい

    昭和23年鹿児島県生まれ。九州大学医学部中退後、新聞記者や雑誌記者を経て独立。38歳の時脳梗塞で倒れリハビリで再起。闘病中に書いた『安岡正篤の世界』(同文舘出版)がベストセラーに。現在では執筆の他、全国で講演活動を展開。著書に『安岡正篤 立命への道』『下坐に生きる』『いのちの讃歌』(いずれも致知出版社)など。