2019年7月号
特集
命は吾より作す
  • 一般社団法人下町グリーフサポート響和国代表理事本郷由美子

かけがえのない命と
向き合い続けて

附属池田小学校で逝った愛娘とともに

いまから18年前、平和な学校に押し入った一人の男の凶行により、8人もの児童の命が奪われた。附属池田小事件である。この事件で7歳の愛娘を失った本郷由美子さんはいま、様々な喪失体験に苦しむ人々を支える活動に邁進している。一時は死を思い詰めるほどの絶望の淵から、本郷さんはいかにして新たな運命を開いてきたのか。今日に至る再生の軌跡を伺った。

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ラジオから飛び込んできた声

「大阪教育大学附属池田小学校に刃物を持った男が乱入。低学年の児童が多数刺された模様です……」

近所のお店で買い物を済ませて車に戻り、エンジンをかけた途端、異様にテンションの高いアナウンサーの声が、カーラジオから耳に飛び込んできました。

えっ、大阪教育大附属? まさか優希ゆきの学校じゃないわよね……。

運転席の私の胸に、黒い染みのように不安が広がっていきます。付近に響き渡るパトカーのサイレン、ヘリコプターの操縦音。ラジオから繰り返されるアナウンスに、同校2年に在籍する長女の身の回りで、何かとんでもない事件が起きたことを確信した私は、学校へハンドルを切り、一直線に車を走らせました。

付近には既に人だかりが見え、正門前には婦人警官が立っています。

優希、どうか無事でいて!

祈るような気持ちで門を抜けると、私は校舎へ向かって全速力で走りました。その視線の先に、倒れて動かない子供の姿が小さく映った気がした刹那せつな雪崩なだれを打ったように負傷した児童たちが校庭に運び出されてきて、私は茫然ぼうぜんとその場に立ちつくしました。飛び交う悲鳴、鳴り響く救急車のサイレン、慌ただしく走り回る先生、警察、救護の方々――辺りはまるで戦場のようでした。

「優希が、優希がいない!」

自分の子供の無事を確認できたお母さんにも手伝ってもらい、校庭に避難してきた児童の間を血眼ちまなこになって捜し回りましたが、娘の姿は一向に見当たりません。心臓は早鐘はやがねのように鳴り続けています。仕事先から駆けつけた主人が、優希が負傷したらしいことを同じクラスの男の子たちから聞いたものの、学校は大混乱で、いま、どこでどうしているのかもつかめません。

優希が病院へ搬送されたのを知ったのは、学校に駆けつけて一時間も経過してからでした。崩れ落ちそうになる体を周りの方に支えられ、私は救急車に乗り込んで病院へ急行しました。

個室で医師からの呼び出しを受けるまでの時間を、どれほど長く感じたことでしょう。ようやく通された処置室には、わずか5時間前に笑顔で登校して行った優希が、既に事切れ、静かに横たわっていました……。

病院の皆さんのおかげで、優希の体は深い傷を負ったとは思えないほど綺麗きれいになっていました。その顔は微笑ほほえんでいるようにさえ見えます。私は主人と二人で優希に語りかけながら、まだかすかに温かみの残るその体を、何度も何度もさそってやりました。乱れた髪を手ぐしで整えると手が赤く染まったので、看護師さんに入浴剤をお借りして血糊ちのりを丁寧に洗い流してあげました。

司法解剖が行われるため、せっかくの親子の対面も僅か数時間で切り上げなければなりませんでした。再び優希と対面し、一緒に報道陣の押しかける自宅へ帰ってきた頃、辺りは既に真っ暗になっていました。

平成13年6月8日、大阪教育大学附属池田小学校に押し入った一人の男の凶行により、優希たち児童8人の尊い命は嵐のように奪い去られたのです。

一般社団法人下町グリーフサポート響和国代表理事

本郷由美子

ほんごう・ゆみこ

群馬県生まれ。平成7年阪神・淡路大震災で被災し、大阪府池田市に転居。13年大阪教育大学附属池田小児童殺傷事件で愛娘を失う。翌年グリーフケアと出合い、17年精神対話士の資格を取得。その後上智大学グリーフケア研究所で専門スピリチュアルケア師の認定を受け、同研究所で非常勤講師を務める。現在は、事件や事故の被害者、東日本大震災の被災者や身近な人を亡くした悲しみに寄り添う活動のほか、いのちの重さ・大切さを伝える講演活動に邁進。著書に『虹とひまわりの娘』(講談社)がある。